文化の日。気持ちの良い秋晴れである。昔から、『文化の日』は良い天気に恵まれるという。カミさんは朝からゴルフに出かけ、長女は自分で始めて買った車の試乗のためと娘を連れて買い物に出かけ、次女夫婦は帰国の目的である友人の結婚式に出かけていった。私は一人のんびりと新聞を読む。そして、折り込みチラシの中の住宅の間取りを見るのが一番の楽しみなのだ。
わが家が材木屋であったので住宅関係の雑誌もあり、小学校の頃からこれを眺めることが好きだった。好きは次第に高じ、マス目のノートを買ってきて、自分で設計図を描くようになった。間取り図を描き始めるといつまでも止まらないくらい熱中し、ノートも何冊かになった。高校生になるまでは、家の設計士になろうと思っていたが、大学の建築科に進むためには数学が得意でなくてはならないことを知り、数学が苦手な自分には不向きだとわかった。
それなのに今でも、チラシにあるマンションや家屋の間取り図を見ると、これならこうした方が便利ではないか、などと設計図を描き始めてしまう。そんなことをしているとたちまち時間が過ぎる。あわてて掃除機を廻し、台所の片づけをする。金美齢さんに、11月11日の流れを書いてFAXする。すると金先生からすぐに電話が入る。テキパキと気持ちの良い人である。
私の中学高校からの友だちがブログに、重松清氏の短編『潮騒』の文章にふれ、次のように書いている。
《自分の人生もまた、否応なく不意に始まり、そして自分の意思に拘わりなく、或る日突然、否応なく不意に終わってしまう。人の人生が神に委ねられ、永遠の中で息づく一つの営みであるのなら、人生は気の遠くなるほど長い旅路を往く列車に、自分もまた、途中の駅で乗り込み、途中の駅で降りる多くの客の中の一人だとしっかりと悟りきり、62年間の自分の時間と空間を共有してきた人たちとの出会いや生き方や、それこそ神の試練とも言うには悲しすぎる不意の別れや気も遠くなるような喪失を、自分の正直な言葉と表現で、私は改めて、自前の文章という形で、是非とも書き止めておかなければならないと最近、強く自分に言い聞かせているのである。》
友だちは、最近の健康診断でレントゲン検査とCTを撮り、肺に二つの腫瘍が見つかった。良性の腫瘍なのか、悪性の腫瘍なのか、健康に自信があった彼にとっては始めてのこと、少々気落ちしていたようだ。「友だち以上恋人未満」の女友だちとのデイトの最中も、「男はドライブの間中も、何故か女の手を握ったままだった。女の手を握る感触で、少しでも自分の不安を解消しようとしていたのだ」と書いている。「女は男に言う。『今日のあなたは、まるで甘えん坊の子供みたいね。』男は女に言う。『君の感触を、体に覚えさせているんだ。』」
最後の2行はどうぞご勝手に、というところだが、私も彼の健康のことは気になっている。私たちの年齢になると身体のどこかが不調だ。彼と共通の友だち二人も病と闘っている。長い間使ってきたのだから当然の結果だが、願わくば速やかにあの世とやらに行きたいものである。彼もまたそんな自分の“時間”を意識しているのだろう。再検査の結果がよければ、また飲もう。彼の「友だち以上恋人未満」論をもっとしっかりと聞きたいと思っている。
わが家が材木屋であったので住宅関係の雑誌もあり、小学校の頃からこれを眺めることが好きだった。好きは次第に高じ、マス目のノートを買ってきて、自分で設計図を描くようになった。間取り図を描き始めるといつまでも止まらないくらい熱中し、ノートも何冊かになった。高校生になるまでは、家の設計士になろうと思っていたが、大学の建築科に進むためには数学が得意でなくてはならないことを知り、数学が苦手な自分には不向きだとわかった。
それなのに今でも、チラシにあるマンションや家屋の間取り図を見ると、これならこうした方が便利ではないか、などと設計図を描き始めてしまう。そんなことをしているとたちまち時間が過ぎる。あわてて掃除機を廻し、台所の片づけをする。金美齢さんに、11月11日の流れを書いてFAXする。すると金先生からすぐに電話が入る。テキパキと気持ちの良い人である。
私の中学高校からの友だちがブログに、重松清氏の短編『潮騒』の文章にふれ、次のように書いている。
《自分の人生もまた、否応なく不意に始まり、そして自分の意思に拘わりなく、或る日突然、否応なく不意に終わってしまう。人の人生が神に委ねられ、永遠の中で息づく一つの営みであるのなら、人生は気の遠くなるほど長い旅路を往く列車に、自分もまた、途中の駅で乗り込み、途中の駅で降りる多くの客の中の一人だとしっかりと悟りきり、62年間の自分の時間と空間を共有してきた人たちとの出会いや生き方や、それこそ神の試練とも言うには悲しすぎる不意の別れや気も遠くなるような喪失を、自分の正直な言葉と表現で、私は改めて、自前の文章という形で、是非とも書き止めておかなければならないと最近、強く自分に言い聞かせているのである。》
友だちは、最近の健康診断でレントゲン検査とCTを撮り、肺に二つの腫瘍が見つかった。良性の腫瘍なのか、悪性の腫瘍なのか、健康に自信があった彼にとっては始めてのこと、少々気落ちしていたようだ。「友だち以上恋人未満」の女友だちとのデイトの最中も、「男はドライブの間中も、何故か女の手を握ったままだった。女の手を握る感触で、少しでも自分の不安を解消しようとしていたのだ」と書いている。「女は男に言う。『今日のあなたは、まるで甘えん坊の子供みたいね。』男は女に言う。『君の感触を、体に覚えさせているんだ。』」
最後の2行はどうぞご勝手に、というところだが、私も彼の健康のことは気になっている。私たちの年齢になると身体のどこかが不調だ。彼と共通の友だち二人も病と闘っている。長い間使ってきたのだから当然の結果だが、願わくば速やかにあの世とやらに行きたいものである。彼もまたそんな自分の“時間”を意識しているのだろう。再検査の結果がよければ、また飲もう。彼の「友だち以上恋人未満」論をもっとしっかりと聞きたいと思っている。