友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

楽市でポン菓子を売る

2007年11月25日 19時02分51秒 | Weblog
 穏やかな暖かい日差しが降り注いでいる。さあ今日こそは鉢の土の入れ替えをやってしまおうと張り切っていた。まだ、少し肥料が足りないから、友人が「遊びに来てね」と言っていた“楽市”を覘いてから出かけようと思い、「“楽市”は何時からですか?」と聞いた。すると折り返しの電話が入り、「ポン菓子の人手が足りないからすぐに友だちと一緒に来てくれないか」と言う。友だちと私は先日、彼の家で宴会をやったばかりだ。断れるわけがない。「わかった。すぐに行く」と言い、友だちに電話を入れるといつものように二つ返事で「いいですよ」と言ってくれた。

 “楽市”は午前10時頃より始まったけれど、なかなか盛況で、どんどん人が集まってきた。南側で行われているフリーマーケットがお目当てなのだろう。穏やかで暖かい日だから、絶好のお祭り日和といえる。最高だったのは、和菓子屋さんが提供する黄な粉の草餅が無料で食べられるという時だ。餅つきが始まるとすぐに長い行列ができた。私たちを呼び出した友人が焼くみたらし団子も、その隣の1杯250円のうどんも、行列ができていた。私たちが助っ人を頼まれたポン菓子もなかなか好評だったが、何しろ一度にできる量に限りがあるから、あっという間に売り切れ、またしばらく待ってもらうという能率の悪いものだった。

 このポン菓子の機械は個人の持ち物で、子どもたちを喜ばせたくて、40万円で手に入れてきたそうだ。部品の一つひとつは貴重品で、手作りだから「高くつく」と言う。しかも機械の運搬のために軽トラックも買ったので、合計百万を費やしたそうだ。それで今日の“楽市”では1袋百円で売っているのだから、どこまでいっても決して元は取り戻せない。今日はお金をいただけたが、学校や老人ホームや地域のお祭りなどでやる時は全くのボランティアだそうだ。本当にボランティアだなと思ったのは、どれくらい売れるのか見当が付かないから、持ってきたお米は玄米が2キロと白米が2キロだったので、やっているうちにすぐになくなってしまった。

 「ちょっと買ってきますわ」と言い、しばらくすると2キロ入りの白米の袋を2つ下げて戻ってきた。何がなんでも売りまくろうという気が全くないから、効率はきわめて悪い。それがまたこうしたボランティア活動のおもしろさかもしれない。ポン菓子の材料のお米がなくなると、「丹波笹山の黒豆を持ってきているので、これでやってみるわ。これはサービス。みんなに食べてもらいたい」と、黒豆のパッカンに挑戦する。さらには「ついでもマカロニもやってみる」と、マカロニのパッカンをつくる。子どもたちは不思議そうに口にして、「ウン、おいしい」と言いながら、無料の黒豆とマカロニのパッカンを口に押し込んでいた。

 的屋さんではなく、素人の皆さんがそれぞれにアイデアを出して取り組むこうした地域の祭りはいい。やる側は大変な苦労があるが、遊びにやってくる皆さんには楽しみであり、地域のコミュニケーションとしては大いに意義がある。ところが、祭りを催す側では世代の高齢化や自分のところの商売をないがしろにはできないや余分にお金がかかるなど、問題もいろいろあって、「やめたい!が本音だよ」と言う。なるほど、継続することは大変な努力が要る。

 無理せずに、みんなが楽しめる、そんな“楽市”はできないものなのか。商売でも波があるように、商店街も浮き沈みがあり、祭りもまた盛んになったりなくなったりする。生み出すエネルギーもすごいけれど、持続するエネルギーもすごい。これは一人ではできない宝だ。
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