友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ビビリでいいのでは

2019年11月06日 18時10分45秒 | Weblog

 朝夕めっきり冷えてきた。ルーフバルコニーの植木鉢に、水を遣っていても震えてくる。3日ほど前から、朝起きると鼻水がポトポト落ちて止まらない。4日は風が強く、木枯らし1号かと思う程だった。5日からは、鼻水ばかりかクシャミが出て、最悪の事態になってきた。

 温度変化が大きいと、体調を維持するためなのかよく分からないが、鼻水が流れ落ちてくる。身体の中からの合図のような気がするので、いつものことだからと気にしなかった。しかし、クシャミまで伴うようになって、ひょっとすると風邪?と思うようになった。

 ところが昨夜は、悲惨な状態に加えて、目がメチャクチャ痒い。こうなると、風邪というよりも花粉症によるアレルギー反応のような気がして来た。アレルギーは若い人には起きるけれど、歳を取るとならなくなると聞かされていたから、やっぱり風邪なのかと思い直してみる。

 先日、毎日私のブログをチェックしてくれている友だちが、「お腹が痛いのは、白内障手術が迫って来たことのストレスね」と断言する。さらに彼女は手術がどのように行われるのかを事細かく語ってくれた。果たして私は、彼女のように堂々と手術が受けられるだろうかと心細くなってきた。

 血を見ると、足の血管が縮むような感じがして、これでは医者にはなれないと思った。高いところも苦手で、やっぱり足から血が引いていく気がする。小さい時からビビリだった。小学校の4年生まで、通知表には「積極性が欲しい」と書かれていた。教室で一度も手を挙げたことがなかった。

 5年生になって、ストライキ騒ぎがあり、それまでは何もしない学級委員だったのが、自分を変えなくてはと、手を挙げるようになった。6年の時には、児童会会長に立候補するまでになった。おとなしくて優しい勉強のできる子から一歩前に進んだ。だからビビリからも脱却したと思ったが、まだまだビビリだったようだ。

 性格は変えられると自信を持ったのに、怖がりは克服できないようだ。怖がりを克服して、人を平気で殺すような人間にはなりたくないから、ビビリでいいのではと納得している。


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