友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

すれ違い

2008年10月15日 20時22分02秒 | Weblog
 夫婦を見ていると面白いなと思うことがある。先日も知人のご夫婦が車でやってきた時のことだ。ご主人が運転し、助手席に奥さんが乗っていた。いつもなら、もっと手前の広いところで止まるのだが、この日は荷物があったのでご主人はなるべく近いところへと考え、狭い道を無理やり入ってきた。多分この時、助手席の奥さんが「こんな狭いところまで入ってきて、私はバックで出られないわよ」とか言ったのだろう。ご主人はわずか2メートル半ほどしかない道幅の中でちょっと広いと思われる辺りでいきなりターンを始めた。

 車は見事に花壇の壁面に追突してしまった。そこで、奥さんの叫ぶ声がしたかと思う間もなく、車は急加速でバックし、反対側の壁にぶつかった。それでもなお、ご主人はムキになって今度は前進させたから再び花壇の壁面にぶつかってしまった。「ここは狭いからターンは無理ですよ」と何とかご主人を納得させたけれど、どうもご主人は想像以上に短気な人のようだ。

 それでも、狭い道に入り込んでしまい、これでは奥さんが運転できないだろうという思いやりから、車を反転させておこうとしたのに違いない。相手に対する思いやりの気持ちが逆にとんだ災難を生むことになってしまった。奥さんはカンカンになって、車の状態を確かめ、発進していった。ぶつかった時の衝撃音はすさまじいものだったが、ぶつかったバンバーは多少傷ついたものの、気にしなければ耐えられないようなものではなかった。ご主人はバツが悪いのか、盛んに狭い道幅を眺めて、何かつぶやいていた。

 友だち同士の家族で集まって食事などをした時、夫婦の片方がちょっとしたヘマをしたり、失笑を買うような発言をした時、「本当にドジなんだから。この人のこういうところが嫌い」などと片方をなじるようなら、それはジョークで言ったつもりでも言われた方はかなり傷つくことになる。片方はみんなの手前、かばうような発言をして、なんとなくだらしがないとか甘いとか思われたくないという配慮から、わざと冷たい言い方をしたのだとしても、そこにはなぜか敵意のようなものが存在するような気がする。

 夫婦だから日頃からどんな言い方をするか、よくわかっているつもりでも、実は難しいなと思うことは多々ある。今、読んでいる『アンナ・カレリーナ』の中に、結核で死を迎えようとしている兄を弟が見舞いにいく場面がある。新婚の花嫁は自分も一緒に行くと言う。彼はそれを一人でいるのが寂しいからとついてきても困ると考える。それに兄は死の直前にあり、きっとひどい状態だからそんな姿を愛する妻には見せたくないと思いやる。けれど花嫁は、夫婦だからこそ一緒に行きたいのだと聞き入れない。

 互いに相手を思いやっているのだが、すれ違っていくことは結構あると思う。どうすることが一番よいかは実際にはわからないのではないかと思う。「結果は神が決めたこと。つまり最良の道だ。受け入れるしかない」と私は言うのだが、「あなたは自分勝手ね」と言われてしまう。
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