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公務員の民間派遣の意味

2008年10月16日 20時05分53秒 | Weblog
 以前、デパートで役所の職員に出会ったことがある。買い物をしていたのではなく、売り子をしていた。行政が、公務員は接客態度が悪いとの批判に、民間に学びますと派遣したものだ。確かに公務員の接客態度にはむかつくようなことがある。普通の人間が役所の窓口を訪れるのは、困りごとであったり相談したいことであったりする場合が多い。その他は、証明のための書類の発行だから、これはお金を払えば済む淡々とした行為だ。

 ところが相談ごととなると、まずこちらの事情をよく説明し、何を期待しているか伝えなくてはならない。逆に言えば、役所の職員は聞き上手でなくてはならないわけである。市民にとっては、それは許可をもらうことであったり、何かを認めてもらうことであったりするから、ますますどうかよろしくお願いしますということになる。職員からすれば、ダメだともいいとも言うことの出来る権限を握っているわけである。

 こういう時は、なぜか相談する側は卑屈になり、受ける側は横柄になりやすい。役所の職員は冷たいとか態度がデカイとか、市民が不満を感じる時だ。そこで行政は職員を民間に派遣し、接客態度を学ばせているというのである。私も学生の時、デパートで売り子をしてみて、物を売ることがどんなに大変なことかと身に沁みた経験がある。公務員を民間に派遣することに意味が無いとは言わないが、本当は公務員とはどういう職業なのか、その根本から学んだ方が良いと思っている。

 民間で体験させるなら、もっと大変な職場に行かせる方がよいのではないか。たとえば、介護の職場のように人がいなくては成り立たないようなところとか、汗水流して働く職場とか、人から罵倒されることが多い職場とか、そんなところで働いてみた方が良い気がする。公務員は、市民に代わって行なっているわけだから、たとえどんなイヤな市民であっても、自分はこの人たちの代わりに働いているわけである。もちろん、人は全て平等だから、自分とイヤな市民も平等である。そういう目を持った職員になって欲しいと思う。

 ところで公務員が民間に派遣される中に、まさか教員も含まれているとは思わなかった。教員に、たとえば旅行会社に派遣する意味は何なのだろう。デパートに派遣するとしたなら、その目的は何かと考えてしまう。教員には子どもの能力、学力であったり体力であったり想像力であったりする様々な力を、見つけ出し引き出し育てることが求められる。民間に行くことがそうした教員に求められる資質の向上に役立つのだろうか。もし、教員が自らこういうことを学びたいというのであれば、それはそれで意味があるのだろうけれど、画一的に民間に派遣することは愚の骨頂としか思えない。

 公務員だって、あるいは教員だって、もっと言えば、どのような職場の人であっても、もう一度自分から学びたいという気持ちが湧き出してきた時、それを保障する制度は大切だと思う。そうすることで自分を向上させていけるならば、やりがいにもなるだろう。今、行なわれている公務員の民間体験は「やっている」だけに過ぎなくないだろうか。行なう意味と内容、方法など検証し直される必要があると思う。
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2 コメント

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公務員 (匿名)
2009-11-01 13:47:04
国家公務員、地方公務員、JR関係、NTT関係、特殊法人、ハローワーク職員の共通項は、人間として腐ってるという事。公共の為に働いてるのではなく、安定してるから働いてるだけだろ。見てると嫌悪感を感じる。
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Unknown (鈴木至彦)
2009-11-02 18:45:48
昨年の記事にコメントをいただけるとは思ってもみませんでした。私の血筋にはあなたが見ていると嫌悪感を感じる人間が多いのですが、だから弁護するつもりはありません。でも、私が出会った人たちの多くは、安定してるから働いてる人間ばかりではありませんでしたよ。特に若い官僚の中には、国はどうあるべきかを考えている人々が何人もいました。非難を受けて当然の人もいましたが。
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