友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人の和の無いところには活気も穏やかさも生まれない

2023年06月01日 18時42分52秒 | Weblog

 2時半にレンタカーを借りに行き、5時半前には返すことが出来た。総勢8人で、ルーフバルコニーの植木鉢を片付けることが出来た。私は多少の手伝いは出来たが、50代の力のある2人が主力になって頑張ってくれた。

 土の入った植木鉢はとっても重い。ルーフバルコニーから北の部屋に入れ、北の部屋から玄関先に出し、そこから階段で上まで運び、廊下を台車に乗せてエレベーターの前まで運び、1階の玄関ホールから借りて来たトラックの荷台へ。

 階段を歩いて運ぶのは大変さ作業だが、長女のダンナが「バケツリレーで行きましょう」と提案し、「ソレ、ソレ」と掛け声で運ぶ。私は心臓が煽ってしまい戦線を離脱したが、カミさんは意外にも力持ちだった。

 レンタカーのトラックと長女のダンナのトラックに積めるだけ積んで、公民館の玄関先へと運ぶ。ここで待っていてくれた4人と私たち5人で、植木鉢を降ろし、玄関先に並べていく。そしてもう一度マンションに戻り、残りの植木鉢と空にしておいた植木鉢をトラックに積み込んで公民館へと向かった。

 地域の人々へ回覧版で知らせてあったので、植木鉢を見に来た人たちがいた。「ワァーきれい」と言って手に取り、「本当にもらっていいの?」と聞いている。たちまち、何鉢かが持ち去られ、植木鉢のリサイクルイベントは盛況の兆しだった。

 人の和の無いところには、こんな活気と穏やかさは生まれない。人々が何の苦も無く、手を差し伸べ、汗を流してくれる。コミュニテーの原点を見た気がした。それにしても、運ぶという単純作業は、大勢の人の手が無ければ出来ない。

 50代の力持ちには感謝、感謝だが、高齢になっても他人を助けようとする友だちの皆さんにも本当に感謝したい。明日になって、「足腰が痛くて歩けない」、そんなことの無いようにと祈っている。


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