友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いつか親の愛を受け止めてくれるだろう

2024年08月21日 17時13分13秒 | Weblog

 今朝は、後期高齢者の特定検診で、8月1日行われなかった残りの胃ガン検査だった。レントゲン検査では無く、胃カメラ検査を希望していたようで、暗い検査室に連れて行かれた。胃カメラは何度やっても苦しくて辛い。

 申し込みはカミさんが行ってくれたので、私は「はい、はい」と看護婦さんに従うだけだ。検査が終わって、受付嬢が「お疲れさまでした」とねぎらってくれる。「検査費用は4千円です」と言われて支払う。レントゲン検査なら無料だが、胃カメラは別なようだ。

 カミさんに迎えに来てと連絡するが、スマホが話し中で繋がらない。そんなに遠い距離では無いから歩いて帰ることにする。途中の田んぼの畔で、母親と男の子がふたり水路を覗き込んで何かを捕えようとしていた。そんな光景に出逢えたのも、ボンヤリと歩いて来たおかげだ。

 親子は血で繋がっているが、夫婦は何で繋がっているのだろう。今朝のNHKの朝ドラ『虎と翼』は、夫婦って何ですかと問うていた。私は単純に、結婚は幸せな生活の始まりと思っていた。結婚によって「姓」が変わることにも無頓着だった。

 私は3男で、別の「姓」になっても何も困らない。むしろ、全国どこにでもいる「鈴木」の「姓」よりも、カミさんの「姓」を名乗った方が面白いとさえ思っていた。でも、カミさんには弟がいる。私がカミさんの姓になれば、長男の彼は不愉快に思うだろう。どうでもいいなら、このままでいいと思った。

 娘が論文を発表する時、「旧姓で発表しないと途切れてしまう」と悩んでいた。研究論文を発表するというのは大変なことだと教えられた。画家も自分の画風が変わっても、サインだけは変えない人がいる。これが自分の作品、これが自分の業績と残したいからだろう。

 子は親の作品、業績なのだろうか。そうした面は確かにあると思うけれど、子は親から独立していく。親はむしろ、子の応援者であるべきだ。口を出さず、静かに見守る応援者に徹すれば、子もいつか親の「愛」を受け止めてくれるだろう。


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