友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

カレイの煮付け

2008年03月19日 19時09分13秒 | Weblog
 昨日は議員時代の仲間と日間賀島へ、1泊の懇親会に出かけた。私が一番若いから幹事役を務めることになった。1年に1回、こうして日間賀島へやってきて、美味しい海の幸をいただき、若いコンパニオンのお酌でお酒を飲むのだが、昨夜は大いに盛り上がったようで、今朝の請求書を見たら酒代が一人分の宿泊代よりも多かった。まあそれだけ楽しかったということだろう。

 議員だったから、どうしても現在の政治の動きが話題になる。その結論は「もう、どうしようもないな。こんな馬鹿気たことをやったんじゃー、税金も納めたくないし、見たくもない」と、なってしまう。「いやいや、そうやって皆さんが、政治に関心を示さないから、こんな結果を招いてしまったで、いくらリタイアしたからって、もう知らんとは言ってはならんのですよ」「それはそうだが、有権者はどうしてもっと賢くならんのかね」。そんな話の堂々巡りだが、気兼ねなくそんな話ができるのも、一緒にやってきた仲間だからだ。

 「楽しく酒が飲めることが一番」と最長老は言う。「議員の時は議会が無い時に、議員を辞めてからちょくちょくと、家内と一緒に旅行するんだけれど、せっかく旅行に来てもおもしろくない」「どうして?」「第1にアレは酒が飲めん。第2になかなか感動を共有できん」「ほー、なぜ?」「ワシが『ほれ見てみい!』とキレイだなと思う景色を見せてやっても、ぜんぜん反応が無い」「そりゃー寂しいね」「パリに行った時も、ムーラン・ルージュへ連れて行ってやると言うのに、そんなストリップを見るのはイヤだと言う。馬鹿言え、素晴らしいからとにかく観てみよと連れて行ったけど、ホントに感動がない」

 まあ、女房の悪口をつまみにして、お酒を飲むのもこうして男ばかりでやってきたからだ。カミさんを嫌っているわけではないし、食べ物の相性が合わないとしても、ちょっと寂しいと思うだけで、不満があるわけではない。頼りにしているし、頼りにもされている。長い間、夫婦をやってきたのだから、こんなものなのだろう。

 宿に漁師がやってきて、「石油の値上げで漁師なんかやってられん」とぼやく。「漁師は1年に百日くらいしか働けん。漁に出て、魚獲って、売り上げが2百万ありぁー、重油の代金を引いて、4人なら4人で、あるいは5人なら5人で分けちゃう。網や船が使えんくなることまで考えとやせん。そだで、いつも火の車だわサ」と日本の漁業の現状を聞く。

 結局、漁から帰ってきたばかりだというその漁師から、カレイを買うことにした。家に帰ってすぐにカレイを煮た。今晩はカレイの煮つけでまた一杯となった。
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