友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

50歳を過ぎればどこかが悪くなる

2009年06月27日 18時48分09秒 | Weblog
 私よりも10歳も年下の人が「医者に心臓肥大と言われて」と、しょげていた。ゴルフもやれればソフトボールもできるのに、何を贅沢な悩みかとみんなでいじめてやる。毎日酒を飲み、タバコを吸い、悪いことばかりやってきておいて、医者から何処そこが悪いなどと言われてしょげるくらいなら、品行方正な生活を送ってから物を言えなどと理屈にもならない理屈で傷口に塩を塗り込んでやる。

 私の親しい医者も「人間も長いこと使えばどこかに痛みが来るものですよ。もちろん人間にも自己再生能力が備わっていますから、それを助けてやればよくなっていきます。よくなっていきますが、若返っていくわけではありません」などと言う。地域新聞の発行に追われていた時はいつも決まって胃潰瘍や十二指腸潰瘍に襲われた。医者は笑って「職業病ですね。何か困ったことでもあるのではないですか?」と聞くが、自分にとっては別に悩みがあるわけではないのにどうしてこんな風に「いっそのこと殺してくれ」と思うほどの痛みに襲われるのかと思った。

 地域新聞を辞め、選挙に立候補するようになっても胃の痛みからは解放されなかった。それがどうしたことか、もうこれで選挙はしないと決めた時から全く一度も胃の痛みを経験しなくなった。身体的には健康体になったはずなのに、なぜかいっきに老人になってしまった。「若々しいね」「活力があるね」と評価していただいていたのに、歳相応に落ち着いてしまった。腰が痛いやら肩が凝るやら、下腹が出てくるやら、ろくなことがない。今年は年の初めから右手の親指の付け根が痛い。半年を経て少しは軽くなったものの、親指の第2間接が痛かったり、どうかすると両手首が痛かったりするので、リュウマチかなどと心配している。

 50歳も過ぎると身体のどこかが悪いようで、自分は何処そこが、私はそれもあるけれどこれもあるとか、物忘れが激しくなってきたとか、目があるいは耳がそして歯が舌がと悪いところの自慢話である。こんな時の友だちのセリフはいつも「毎日タバコを吸っていても百歳まで生きる人もいれば、タバコも吸わず酒も飲まないのに50歳代で亡くなる人もいる。百歳生きたから幸せ、50歳で亡くなったから不幸、何処でそう言い切れますか?」と決まっている。そういう彼は、ある日急に毎日吸い続けていたタバコを止めた。健康を意識したわけではなく、「ふと、タバコを止めてみようと思った」と言う。

 人は自分の苦しみや痛みや不遇を話したがるタイプと隠したがるタイプがあるようだ。話したがるタイプの人も話すことで自虐的になっているというより安心を求めている気がするし、話したがらないタイプの人も実は自分のことを相手に知ってもらいたいことには変わりないのだが、どうにもならないことは話す気になれないだけのことだろう。人は弱い。弱いから自分を理解してくれる人を求めている。
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