友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分はどうかという視点

2011年12月10日 21時38分56秒 | Weblog

 3日間休むつもりが1日多くなってしまったのは、ひとえに私の怠け癖が出たからだ。新聞もテレビも見ていなかったが、相変わらず嫌な事件が多い。埼玉県の通り魔事件は夜間高校生が犯人らしい。彼は猫の死体を学校へ持ち込み、「次は人間を殺す」と言ったり、女子中学生を切りつけそれでも殺せなかったからと小学生の女の子を背中から刺している。どう考えても尋常ではないと思うし、なんとなく神戸の「酒鬼薔薇」事件や秋葉原事件を思い出させる。「どうも私たちの子育ては子どもに甘過ぎた」と同世代が言う。

 

 中には大阪の橋下新市長のように、「日教組の教育が間違っていたからだ」とまで言う友だちもいる。日教組が組織を挙げて教育できるような時代もそして組織もわずかであったと思う。愛知県の小・中学校の教員は全員が日教組の組合員だけれど、県教育委員会の方針の下で文部省の指導を忠実に実践してきた。高校は共産党の支持勢力が強かったけれど、だからと言って教育実践で格別なことを行う教員はいなかった。今日のような状況は、誰に責任があるのかと言えば、もちろん時代を形成してきた私たち全員にあるだろうし、その時代の指導的な立場にあった人の責任は少し重いだろう。

 

 東大を退官した上野千鶴子さんの言葉が昨日の中日新聞に載っていた。「少なくとも私自身は、少なからぬ人たちが原発は危険だと警告しているのを知っていた。なのに、許容はしなくとも反対の声を上げなかった。暗黙の同意を与えていたことになり、福島の人たちよりも罪が深い。悔いと反省があります」。学生運動が激しかった68年世代、ドイツの学生たちは緑の党をつくり、政治権力の中枢へ入っていくけれど、日本では出来なかった。上野さんが長年にわたってかかわったフェミニズムの運動も「日本をそれほど変えられなかった」。

 

 今、若者たちの多くが働く場所がない。私たちの時代は努力すれば道が開けた。大金持ちにはなれなくても小金持ちにはなれたし、家も車も買い、外国旅行にも出掛けられた。小さな夢であってもそれを追いかけることが出来た。それで、子どもたちも当然そんな生き方をするものだと思い込んだのかも知れない。しかし、夢が見られないほどの現実が子どもたちには迫っていた。それを努力が足りないからだと責めたりしていた私たちの世代もここに来て、やっと大変な時代になったと分かってきた。

 

 今日の中日新聞には東大教授だった坂本義和さんのインタビュー記事が載っていた。太平洋戦争の開戦を振り返り、「当時は『戦争は間違い』とは言い切れず、最後は『親を守るために自分は戦う』と正当化するしかなかった」と述べている。そして「戦争が終わると、世界が逆転して国のウソがどんどん出てくる。国に裏切られたと思うと同時に多くの兵隊たちは何のために死んでいったのか、という思いが募りました」。「何のために夫や息子が死んだのか、という思いの人は多かったと思います。だが、問題はその先です。責任を問うと言う問題です。誰が戦争を決めたのかを問わなければいけない。しかし、日本人は上の人が下の人の責任を問うことはあっても、下の人が上の人の責任を問う文化がない」。

 

 上野さんが、声を上げなかったことの罪を上げ、フェミニズムの限界を指摘していることを見習うべきだろう。自分はどうだったのかという視点から問題を捉えなければ単なる犯人探しになってしまい、それでは何も解決しないのだ。

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