友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

情けないこと

2008年03月11日 23時00分00秒 | Weblog
 南氷洋で日本の調査捕鯨船に、アメリカの環境保護団体「シー・シェパード」の抗議船が、薬の入ったビンを投げつける光景をテレビで見た。保護団体の人たちが日本の船に乗り込んで抗議する場面も以前あったけれど、今回の映像はビンを投げつける装置までも備えているから、さながら海戦のようだった。こんな場面を見たら日本人なら当然「絶対に許さん!」という気持ちになるだろう。

 テレビ討論で、自民党の中川前農水相は「撃沈させてもいい」と言うし、民主党の前原前党首も「いい気にさせてはいけない」と発言していた。「舐められてたまるか!」という気持ちは、こうしたテレビを見ていた日本人の心情だろう。私はヘソ曲がりなのか、こんなに抗議を受けながらどうして日本は捕鯨をするのだろうと思った。日本が捕鯨をする理由が私にはわからない。捕鯨をしないと南氷洋の生態系が変わってしまうとも思えない。

 抗議する方もけが人や死者を出すようなら、何のための抗議なのかわからなくなる。日本の関係者は話し合いはできないというけれど、調査捕鯨をやめてしまえば、話し合うこともなく解決する。捕鯨をしないと日本は食べるものがない、働く人が生きていけない、そういうことなら仕方ないと思うけれど、別に世界を敵に廻してまで捕鯨をする必要が全くわからない。圧力に屈しては国家の力のなさを示すことになるなどと、また西部教授は言うかもしれないが、戦争や紛争になるよりその方がよいと私は思う。

 他国にものが言えないのは、日本の国力が弱いからだと西部教授は指摘する。ここでいう国力は「軍事力であり、軍事戦略」以外の何ものでもない。軍備を強化して、それでどうなるというのだろう。やらなくてはいけないことは、軍備をなくしていくためにどうするかである。大学教授であってもそういうふうには頭が回らないのかなと思ってしまう。

 情けないといえば、埼玉県川口市立高校の校長も情けないな。彼はメールを送りつけていた女性をとても愛していたのだろう。愛していたからこそ、脅迫まがいのことまで行ってしまったのだろう。そんなにまで愛しているなら、まず離婚をして結婚を申し込むべきだった。そうすれば、彼女もまた校長が本気で自分を愛してくれていると知るであろう。校長と付き合う気はないと判った時点で、校長は切なく愚かな「恋」に終止符を打たなくてはならなかった。

 それができないのであれば、一切を捨て、彼女に向かわなくてはならないだろう。それをせずに、「裸の写真を送る」とか「殺す」とか、全く程度が低くすぎる。世の中には、校長と同じように、年下の女性に恋をしてしまい、しかも自分は彼女を幸せにはできないと知って、自ら彼女の元を去っていく、悲しい恋の結末を引き受けている男もいる。本当に相手の女性を愛しているなら、彼女が幸せになれるように考えるのが男というものだろう。

 「気に入らないから、ぶっ飛ばしてやる!」。そうではなく、みんなが幸せに暮らせるためにはどうするか、それを考えることではないのだろうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「人生・スポーツそして平和」 | トップ | 宴会の席で一番いやなこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事