昨日は地下鉄サリン事件から30年という。私はまだ観ていないが、NHKテレビがスペシャル番組を組んでいた。30年前、私は自分が創立した地域新聞を辞め、50歳で首長選挙に立候補した。オウム真理教による無差別殺戮はなぜ行われたのだろう。
オウム真理教は、目の不自由な麻原彰晃という男の教えで広がった。私の記憶では地下鉄サリン事件の実行犯も、教団幹部の人たちも、東大や京大という高学歴で優秀な人たちだった。そんな人たちがなぜ、あんな事件を犯してしまったのだろう。
30年前の彼らは、20代から30代の若者である。何かに悩み、たまたま出会ったヨガ教室の「尊師」の言葉に心惹かれたのかも知れない。私も同じくらいの歳であったら、熱心な信者になっていた可能性もある。
私はキリスト教に興味を抱き、中学・高校の6年間プロテスタントの教会に通った。アメリカ人牧師から、「牧師になりなさい」と勧められた。丁度ベトナム戦争の最中だったので、「神はなぜ戦争を止めないのですか」と訊いたが、牧師は答えてくれなかった。
私は戦争の無い、みんなが平等で暮らせる社会を望んでいたので、マルクスも読んだし、哲学の書も読み、社会の仕組みも勉強した。麻原彰晃に出会っていたら、弟子入りしていたかも知れないが、認識の違いから脱会してしまったことだろう。
オウム真理教も統一教会も、どんな教えでも、信じるか信じないかは個人の自由である。私は宗教を否定する気は無い。真理を極めたいとか、心の拠りどころを求めるのは、人間の純真な働きだと思っている。
けれど、狂信では何も見えなくなる。オウム真理教の幹部の多くは死刑になったが、生き残った幹部もいる。彼らも今は、50代から60代になっているはずだ。どこで何をしているのか、何を考えて生きているのだろう。
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