友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

親の思いと子の願いは、時々すれ違う

2023年08月26日 17時22分03秒 | Weblog

 夏休みの最後の土曜日、この地域の夏祭りが小学校の運動場で開催されるため、朝から会場作りが行われている。昨日、名古屋へ出かけた時も、思った以上の人出だった。今朝も車を運転していたら、車列に入れない車がいたので、停車して前を空けてあげたら、入って来た車は秋田ナンバーだった。

 ノロノロ運転の私を追い越していった車は姫路ナンバーだったし、私の後ろの車は福井ナンバーだった。夏休みを利用しての帰省か、それとも旅行の途中なのだろうか。コロナ禍は収束した訳では無いが、もう我慢も限界なのかも知れない。私の父は教師だったので、夏休みはいろいろな所へ連れて行ってくれた。

 犬山城に行った時、三河線から知立で本線に乗り換え、名古屋駅からは犬山線だった。三河は広大な台地だが、尾張平野は水田が広がっていた。しかし、ところどころに低木が見える。「あれは何?」と父に訊くと、「桑の木だ。カイコの餌だよ」と教えてくれた。「農家が副業でカイコを育てて、絹糸を生産しているのだ」と言う。

 知多も三河も綿を育てて、木綿を生産していたが、地域によって違うことを知った。犬山城からの景色は絶景だった。母は怖がって身をかがめていた。桃太郎神社へも行ったが、どこでお昼を食べたのかは覚えていない。父が物知りで、子どもに伝えようとしていたことがよく分かる。

 私は親になると、父と同じことをしていた。修学旅行の前に、京都へ連れて行ったり、小さなマイカーを買ってからは、私が修学旅行で感激した富士山麓へは何度も出かけた。長女が「また!?」と言うまで私は、子どもたちは喜んでいると思い込んでいた。霧ヶ峰や八ヶ岳などの信州へと方向転換した。

 親の思いを子に伝えるのは親の務めと思っていたが、子どもたちには迷惑だったのだろうか。押し付けたり、縛るようなことはしなかったはずだが、親の思いと子どもの願いは、時々すれ違う。そんな投書を新聞で見て、そう思った。


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