友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

平安時代は大らかだった

2024年05月28日 17時07分40秒 | Weblog

 線状降水帯の覆われたのか、雨が降り続いている。こんなに雨が降っているのに、明日は晴れると予報されているのも不思議だ。気象予報士の説明によれば、雨を降らせている雲は次第に東へと移動しているらしい。目に見えない先のことまで見通せるようになったのは、コンピューターの計算能力が高まったからだと言う。

 こんな時に、なぜか『枕草子』の書き出し、「春はあけぼの」を思い出した。NHK大河ドラマ『光る君へ』を観ていて、いよいよ清少納言が表舞台に出て来たからだ。高校の古典の授業でチラッと学んだ気がするが、こんな古文など勉強して何が面白いのかと思っていた。

 国語の先生は、『源氏物語』の研究者と言われていたベテランの女教諭だったのに、なぜか私はヘソ曲がりだった。日本人の美意識が醸成されている平安時代、もっと関心を持っていればよかったと悔やまれる。日本史の中で平安時代は独特な時代である。女性を「産む存在」と見ていたのは、子孫が増えなければ、生産も家系も衰えていくしかないからだ。

 宮中の女性が皆、漢詩が読めたり漢文が書けたり出来た訳では無いだろうが、清少納言や紫式部のような知識の豊富な女性がいたことは、現物が残っているのだから確かである。女性たちが集まって、和歌を披露し鑑賞し合う場はあったはずだ。気に入った和歌を綴って本にし、回し読みもしていたことだろう。

 清少納言は仕えた中宮の定子から貴重な紙をもらい、『枕草子』を書き始めたとドラマは描いていた。うろ覚えだが、枕草子には桜や藤よりも梅の花が一番評価されていた気がする。華やかなものよりも可憐なものに心惹かれたのだろうか。桜を愛でるようになったのは、江戸時代で庶民の酒盛りの場であったと聞いた。

 『枕草子』の中に、高貴な殿方の牛舎が家の前で止まったようでドキドキするという個所を口語訳で読み、夜這いは女も楽しみにしていたと知った。大らかな時代だった。

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