友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

それはそれでいいのだ

2024年05月25日 17時48分35秒 | Weblog

 マンションの同じ組の女性と、エレベーターの前で出逢った。別の棟に住む両親のところへ「お昼の食事を届けて来た」と言う。「部屋の整理もしたいけど、『しなくていい』と言うので帰ってきたけど、どうしてあんなに我がままなんでしょう」と零す。

 「ご本人の望むようにしてあげればいいと思いますよ」と答える。彼女のところは孫が生まれたばかりなので、「孫は可愛いでしょう」と聞くと、「どうしてこんなに可愛いのと思うくらい」と言う。「子どもの時は毎日が精いっぱいだったけど、孫は余裕を持って接していられるからかな」と話す。

 「スズキさんは幾つになられたんですか?」と訊かれ、「4月で80歳になりました」と答えると、「えっ、ウソ、そんな歳にはみえない」と驚いてくれる。「何か心掛けていることがあります?」と尋ねられ、「そうだね、『明日のことを思い煩うな』(マタイ伝6章34節)かな」と答えた。

 彼女は牧師の娘で、クリスチャンである。「でもね、神はどうして戦争を止めさせないのだろう。人間の歴史はズーと戦争の繰り返しだもの。これもまた、神のご意思なのだろうね」と続けると、「今もあちこちで戦争が続いていますものね」と考え込む。

 彼女と別れてから、「80歳の集い」で引用した杉田玄白の言葉を思い出した。そして、仏教でも同じような言葉があったことに気付いた。釈迦も過去に拘らず、明日のことを思い悩むことはないと「即得往生」を説いた。キリストは釈迦の思想を伝え聞いていたのかも知れない。

 民衆に仏教を分かりやすく説いた親鸞は、「即得往生」を死んでから浄土へ往くということでは無いと教え、「自力を捨て去り、他力に任せることが出来るようになれば、浄土に生まれる」と、人生に意義と希望を持って生きることだと説いた。

 私は悟りなどとは無縁に生きて来たが、「なるようになる」と思うし、たとえ「ならなくても」、それはそれでいいのだと思うようになった。

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