玄関で、退院祝いに頂いた2束のユリの花が甘い香りを放っている。ひとつは白いユリと赤いと薄いピンクのバラ、もうひとつは鮮やかなピンクと白の組み合わせで、カスミソウが周りを囲んでいる。ユリはカサブランカという種類のようで、雄しべに花粉が無い。花粉が服に着かないように、人間によって改良された種だろう。
人は自分に都合の良いように、周りを変えていく。人は皆、平等だ。同じ太陽の陽を受け、同じ雨風に晒される。地震が起きるし、戦争にだって巻き込まれる。けれど、結果は不平等だ。インフルエンザに感染しやすい人もいればそうでない人もいる。爆撃を受けて、多くの人が死ぬが、中には生き残る人もいる。
能登半島地震のニュースを見ても、死んだ人もいれば生き残った人もいる。どうしてこうなるのか、誰も説明出来ない。この不平等が、人の心に信仰を生むのかも知れない。信仰心が薄くなった、現代の日本人が求める物は何だろう。私が小説を読んで関心を抱くのはいつもそれだ。
凪良ゆうの『汝、星のごとく』は語る。人生はその人のもので、その人が選択した軌跡であると。17歳で出会った男の子と女の子の物語だが、その生き様はとても重い。男の子の母親は何度も男に捨てられたのに、男を捨てられない。女の子の父親は家族を捨てて出て行ったので、母親と暮らし支え続ける。
男の子は現実から逃れるために漫画のストーリーを書き、知り合った年上のマンガの絵描きとペアを組み、出版社のコンクールに応募して、漫画家となっていく。男の子と女の子が惹かれ合い、身体を重ねたのは高校3年の花火大会の夜だった。男の子は東京に行くのに、女の子は母親の面倒を見るため進学を諦め、会社勤めをしながら、父親の愛人である刺繡作家の下で刺繍に邁進する。
男の子は有名人となり、大金も手に入れる。出会った女と平気でセックスをするが、それでも故郷に残った女の子が頭から離れない。幾組かの男女が出て来るが、なぜ、思い留まらないのか不思議だ。人は損得か好き嫌いか、いろんなことを考えて、選択している。選択は自由だが、結果として自分がしている。