新幹線の車両で、22歳の男が乗客を切りつけ、2人の女性が重傷を負い、1人の男性が死亡する事件が起きた。死亡した男性はケガをした女性をかばい、男の暴力を止めようとして殺された。狭い車内の中で、凶器を振り回す男に、素手で立ち向かった勇気に頭が下がる。車内にはまだ男性は何人かいたのだろうから、他に加勢する人がいたなら、彼も死なずに済んだかも知れない。
そうは言ってもいざとなった時に、死亡した男性のように私も出来るかは自信がない。人はみんな弱い存在だ。あんなにキリストを尊敬し、キリスト亡き後のリーダーであったペテロでさえ、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と人が言うと、ペテロは慌てて打ち消して、「私は知らない。あなたの言うことが何の事か、わからない」と3度も否定してしまう。
自分の命を惜しまない人はいない。危険を承知で止めにに入った男性も、死までの覚悟していた訳ではないだろうが、それにしても悲しすぎる。殺人を犯した男は「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と勝手なことを言っている。しかも男は、生きていても仕方ないと自殺志望があったという。自殺もまた殺人だから許されることではないが、たまたま止めに入った善良な人を手にかけるとは、全く人間が理解できていない。
狂気の男は、他人を理解する「心」に欠けている。男は成績の良い子であったが、登校できなくなり、両親は叱責して立ちなおさせようとし、さらに突き放したと報道されている。彼は親戚の家に引き取られ、「引き籠り」生活者になった。誰も自分を認めてくれない、誰からも愛されていない、そんな孤独な思いが今回の殺人となった。愛されていたなら、可愛がられていたなら、こんな事件にはならなかったと私は思う。