友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

一度切れてしまうと修復は難しい

2018年01月10日 18時04分07秒 | Weblog

  春日井の井戸の修復は順調に作業できた。傾いていた土台も直した。井戸は手押しポンプのピストンを取り換えて、挿し水をして汲み上げたら、以前と同じように豊かな水が出た。依頼主に報告するとたいそう喜ばれた。2反ほどある畑は何人かの貸農園になっているので、「一番大変な水遣りが井戸のおかげで助かっている」と言われる。

 井戸掘りをしている私たちも汲み上げた時、水が勢いよく出てくるとやったという気持ちになる。この喜びが味合いたくて井戸掘りを続けている。せっかく井戸が完成しても、夏場の水の必要な時はせっせと汲み上げるのに、冬場になると寒さのせいもあって井戸に来なくなる。挿し水をして水が出ればいいが、長く放っておいて水が枯れてしまうこともある。

 今は蛇口をひねれば水が出るから、井戸の使い方を知らない人もいる。井戸は絶えず使っていれば機能を果たすが、使わなくなれば水脈が枯れてしまう。それに夏場は、太陽の光で鋳物の手押しポンプは猛烈な熱を帯びるから、ピストンも痛みがくる。何かで覆って直射日光を避けて欲しいと思うが、そういう配慮に欠けているケースが多い。

 「あるのが当然」と思うと、人は愛おしさを無くすようだ。井戸も愛する人も、元気だね、可愛いね、今日もきれいだよと声をかけなければ次第に枯れていく。不思議だと思うけれど、人間の周りのものは概ねそういう関係にある。愛おしく愛おしく思えば思うほど、さらに愛おしさが溢れてくるが、一度切れてしまうともう修復できなくなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする