友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

僧侶は職業だと思いますか?

2016年02月03日 18時21分08秒 | Weblog

 住職が「僧侶は職業だと思いますか?」と言う。考えてもみなかったが、言われてみれば給金を得る仕事であれば、需要が無くなれば成り立たない。今、僧侶がしている主な仕事は葬式や法事でお経をあげることだが、僧侶を呼ばない人も増えているから無くなる可能性はある。「実は僧侶も皆さんも、誤解しているのですよ」と住職は言う。「僧侶が悪いのですが、皆さんもお経をあげてもらって、その対価としてお金を払っているでしょう」と指摘する。

「じゃー、お経の意味を知っている僧侶が何人いると思いますか?もし、法事などでお話する機会があったら、『今、あげていただいたお経は何と言っているのか教えてください』と聞いてみてください。ありがたい教えが書いてあるとは言うかも知れませんが、1つひとつの意味まで分かっている坊主は少ないでしょう。意味も分からず読み上げている坊主が多いのですから」。えっ、そんな、ウソ!と思ってしまった。

 「昔の坊主は漢文を読み、漢詩も作れました。今、そんなことが出来る坊主はほとんどいないでしょう。明治までは浄土真宗を除く宗派では結婚はしていません。僧侶は出家の身です。世俗を離れた求道者です。ところが仏教を恐れた明治政府は、世帯を持つことに口出しないとしたのです。陰から奨励したようなものです。結婚して子どもが生まれれば、死んでも極楽へ行けるならいいとは思わない。決死の僧侶を無くしたのです。朝鮮を合併した時も明治政府は、僧侶に世帯を持つように奨励したのですよ」。

 住職と話していると時間の経つのを忘れてしまう。「釈迦は世界を救うなどとは一言も言っていません。釈迦は自分の悩み、なぜ生まれたのか、どういて生きているのか、その繰り返し問い続けた人です。皆さんは寺の祭壇に飾られた金ピカの像を見て、その豪華さから釈迦を神様のように思っていますが、釈迦は人の本質を見極めたいという自己探求の人です。僧侶は釈迦を手本とする求道者なのですが、そう徹することが出来ませんね」。

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