友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中秋の名月を見て、ラブレターを書く

2015年09月28日 17時54分09秒 | Weblog

 福山雅治さんが吹石一恵さんと結婚した。だからってどういうものでもないが、私の携帯に何百通とメールを送ってきた「フクヤママサハル」君もこれで落ち着くだろう。でも、そうなると「フクヤママサハル」君は本物ではなかったわけで、ちょっと寂しい気がしてしまう。猛烈なラブレターだったのに惜しいな。

 知り合いの女性が「余ったから差し上げます」とか、「いい展覧会ではないけど、よければ使ってください」とか、「もったいないので」とか、こんな文面と一緒にチケットを時々送ってくれる。8千円もする指定席を2枚もいただいたこともある。ありがたいことで、感謝しているが添付の言葉が気になる。余計な気を使わせないようにとの思いやりだろうけれど、ちょっと考えてしまう。

 彼女は普通の主婦ではない。記事を書いて生活しているし、文章教室の先生でもある。もしかしたら彼女は、エッセイや紹介記事は書いても、ラブレターは書いたことがないのかも知れない。歯の浮くような美辞麗句であっても、ラブレターとなれば心地よくなるものだ。そこまでいかなくても、「どうぞ、お使いください」とか、「お使いいただければ幸いです」で、よいような気がする。

 昨夜は中秋の名月。西の空にまだ赤みが残っていた頃、東の空にくっきりと大きな月が見えた。この月をあなたと一緒に眺めたかった。あなたの色白の肌はいっそう透き通るようにきれいだろう。月光の下で、一糸まとわぬあなたの身体は、ビーナスよりも美しい。妄想のなかに私は入り込み、月を見つめる。隣りには、「やっぱり月見は団子ね」と頬張る人がいる。

 今晩は満月という。風が強くなってきた。きれいな月が見られるだろう。月夜には日本酒の方が合う気がするが、友だち夫婦は娘さんが開いたワインバーへ行くと言う。月はフランスにもイタリアにも公平に照らしてくれる。たとえ窓がなく、月が見られなくても、煌々と輝く月を思い描いて、ワインで乾杯もいいかも知れない。我が家はどうするか‥。

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