「野田聖子さん自民党総裁選に出馬断念!」。そんなものだろう。それくらい安倍首相は安保関連法案の成立に執念しているということだ。今なら成立出来るのに、対立候補が出てくればヘンな風が吹かないとも限らない。国会議員の20人が集められないくらい締め付けが厳しかったのだろう。自民党から女性首相が生まれるなら、野田聖子が一番手かと思っていたけど、これで彼女の出番はもうなくなった。
市民派の地方議員の中にも、野田聖子さんに期待する人もいたけど、安保関連法案を廃棄するわけではないのに、安倍さんに対抗するというだけで期待してしまうのはどうかと思う。小泉純一郎さんが「自民党をぶっ壊す」と言った時も、自民党嫌いだった人が期待した。けれど、古い自民党体質を塗り替え、延命させただけだった。野田聖子さんがどういう政策を掲げたのかを吟味もせずに期待してしまうことこそ情けない。
情けないといえば、中国政府が行った『抗日戦争勝利70年』に国連のパン事務総長が出席したことに、菅官房長官が「中立でない」と噛みついたことだ。菅官房長官の「中立」の理解は、「どちらにも組するな」ということだが、これは自分に都合が悪い時に政治家が発する言葉である。そもそも中立など存在しない。報道でも「中立」が求められるけれど、それは「報道するな」ということである。
国連は第2次世界大戦の反省から出発している。中国の意図がどうであれ、第2次世界大戦の勝利を記念する行事である。たとえ「抗日戦争」とうたわれていても、日本もまた新しい民主国家となったことを堂々とアピールする度量を示してもよかったと私は思う。韓国のパク大統領が参加したことをバカにしていた外交評論家がいたけれど、韓国の戦略はもっと読みが深いと思う。
菅官房長官の頭の中は、自分たちの政策に反対する者はすべて切り捨てる構造になっている。だから憲法学者が「安保関連法案は違憲」と表明すると、「法の番人は最高裁であり、憲法学者ではない」と言う。最高裁の元長官が「違憲」と明言すると、「元だった個人の意見」と切り捨てる。大阪市の橋下市長が、13万人と報道された国会周辺でのデモを、「たったそれだけ」と言い切ってしまうことには共通している。こうした政治家が政権を牛耳っていることが情けない。