友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

もう少し「友愛」の社会にならないか

2009年12月09日 21時50分50秒 | Weblog
 鳩山政権は長引く不況で働く場所のない人々を、人手の足りない「介護」で働いてもらうようにすると言う。介護は人間でなければできない仕事だから、意味のある政策だとは思うけれど、そのためには介護に携わる人の待遇改善が不可欠だと思う。介護と農業は、これからの社会で重要な役割を果すだろうが、そのためには環境作りが必要だ。誰でもできる、けれども手が抜けない仕事だ。もっと社会的に高く評価されなくてはならないだろう。中日新聞が「介護社会」を特集してきたが、読者からの反響が昨日、全面を使って掲載されていた。

 「脳出血で倒れた主人を、11年2ヶ月もひとりでみてきた。地獄の日々でした。(略)前方からダンプが来ると、“今だ、ぶつかれ。楽になる”と何度思ったでしょう」。「義母の認知症が進み、ある日、義妹から“老人がぼけるのは嫁の愛情が足りないからだと新聞に出ていた”と言われました。びっくりして“行き届かないけれど私なりに一生懸命やっている”と言うと、“やるだけでは駄目だわ。心がなくてはね”と言われました。(略)介護している人に“ありがとう”の一言を言ってくれるだけで、どれほど肩の荷が軽くなるかと思います」。

 「夫を殺して私も死のう、そう思ったのは一度や二度ではありませんでした。脳梗塞を患い認知症になったのは6年前。共倒れになりました。(略)私が70歳になったら、日本中の美しい景色を見る旅に出るのが夢でした。ふたりは国民年金なので合わせて毎月11万円です。(略)ふたりとも死なないかぎり、生きるための戦争は終わらないのです」。「長年在宅介護していた寝たきりの母が91歳で亡くなりました。30歳の娘と60歳の私での介護でした。一生懸命介護しても、認知症の母には何一つ伝わりません。地獄だと思いました。親を殺したというニュースを見るたび、共感するものがありました。苦しみながらも私は生きるしかない、泣きながらともに生きるしかないと毎日毎日、自分に言い聞かせて頑張りました」。

 今日も認知症の夫を介護している人が、「私も認知症になりたい。そうすれば何も感じないし、何も考えなくてすむ」と言うのを聞いた。そうかと思えば若い女性は、うつ病になった夫が毎日家にいて昼夜逆転の生活をしているので耐え切れない。「離婚してもいいと思っているけれど、離婚に同意してくれない」と嘆く。現代人はどうしてこんなに不幸なのだろう。かつて、寒さや暑さに苦しみ原始的な生活をしていた人々の方が幸せな暮らしだったように見えるのはどうしてなのか。ひとりでは幸せにはなれない。幸せは人と人との間にしか存在しない。だけれど、不幸せを感じるのもまた人と人との間のようだ。

 昨日の中日新聞にはこんな記事もあった。「日雇い仕事が見つからずに公園のトイレの水道水だけで2週間、生き延びたこともあった」。どうしてこんな社会になってしまったのか。いや、昔から人間の社会はそんなものだったのだ、そういう声もある。そうであるなら、もう少し「友愛」の社会であってもいいのではないか、鳩山さん。裕福な家庭に育ったので、分らない?かっ!!
コメント
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