奈良の「柳生の里」を訪れているミモロ。「これが、柳生家の人が使った刀?」と、山の中にある「一刀石」から山道を歩いてやってきたのは、「芳徳寺」にある「資料室」です。
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立派な石垣が巡らされた「芳徳寺」は、柳生家の菩提寺。
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「なんかお城みたいだね~」とミモロ。
そう、ここは、もとは柳生藩の藩主である柳生家の居城だった場所で、石段や掘割などが、当時の城の姿を留めています。
正式には、「神護山芳徳寺」といい、柳生宗矩が、父である宗巌(石舟斎)の菩提を弔うために、寛永15年(1638)が創建。親交があった京都大徳寺の沢庵和尚が開山した臨済宗大徳寺派の寺院です。
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宝永8年(1711)に火災で全焼後、3年後に再建。明治期の廃藩後は荒廃したものの、大正期に柳生家の末裔が資金を寄贈し、本堂が再建されました。
隣接して資料館が作られ、そこに柳生家に関する貴重な資料などが多数収蔵、展示されています。
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「いろいろ興味深いものが展示されてる~」とミモロは興味津々。
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馬具や甲冑など、江戸時代の貴重な品々が近くで、よく見られます。
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中でも寺宝とされるのが、柳生宗矩の息子、通称柳生十兵衛が著した「月乃抄」という書物。
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13歳で徳川家光の小姓となった十兵衛は、何らかの理由で、20歳の時、家光の勘気をかって、12年間謹慎を命じられ、出仕無用となります。その間、諸国を巡ったとも言われます。
「あ、柳生十兵衛って、片目に眼帯してる剣術家でしょ。時代劇で見たことある~」と、ネコなのに時代劇好きのミモロ。この謹慎期間のことが、講談や時代小説やドラマになっているのです。
この出仕を許されなかった時期、柳生の里に戻り、祖父の柳生石舟斎や父宗矩が残した口伝の柳生新陰流の兵法などを研究し、著し、また刀などの目録も作ったのが、この書物の草稿です。
「口伝の兵法を書物に残すとは何事!」と父宗矩から焼却を命じられるものの、父の友人である沢庵和尚に相談し、父の真意を説かれた上で、手直しして、焼却を免れます。
「剣術をする人には、憧れの書だよね~きっとすごく剣術の上達することが書いてあるんじゃないの~読めればね~」とミモロ。う~見事な筆遣い…残念、読めない…
再び出仕が許され、江戸にもどった十兵衛は、柳生の里でまとめた柳生新陰流の兵法の草稿を、3年後に完成させ、それが寺宝となっている柳生新陰流の術理を著した「月之抄」です。
「柳生十兵衛さんって、44歳で鷹狩に行って、急死したんだって~」と、資料を見ながら…
本堂の前には、庭が広がり…
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本堂には、宗矩の木造が祀られています。
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この像は、明暦3年(1657)に息子の宗冬が、亡父の七回忌に京都の仏師に命じ作らせたもので、後の火災をも免れた像です。
「そばにお墓があるんだって~」とミモロは、お寺を出て境内の奥へと進みます。
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静寂の中を歩み、山の奥へ
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杉木立の中に、墓石が見えてきました。
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ここに並ぶ墓石は、86基、柳生家一族が宗矩の墓石を中心に並びます。
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「なんか圧倒されるね~」とミモロ。
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まさに柳生新陰流の聖地です。
「これで、主な場所は巡ったよね~」とミモロとお友達。
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奈良観光バスの柳生バス停方向に戻ることに…
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「まだ、バスが車で1時間近くあるよ~」
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そう、10時過ぎに到着し、約2時間半で、「柳生の里」を巡りました。
その間、飲まず食わずで、ひたすら歩いたミモロ達です。
「お腹空いた~」とさすがに言い出したミモロ。でも、平日のこの日、バス停そばの食事処は、お休み。
バス停の周囲には、コンビニもスーパーなどお店がなく、あるのは飲み物の自販機だけです。
「あ、お菓子持ってる~」と、お友達がバッグから取り出したお菓子を食べ、日向ぼっこをしながら、バス停そばのベンチでバスの到着を待つことに…。
平日に「柳生の里」を訪れるときは、ぜひ、おむすびやパンなどを持参しましょう。
13時過ぎに到着したバスに乗り、奈良へと戻ります。
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「奈良でランチしようね~」と。約1時間後、バスは奈良の町へと入りました。
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ランチを食べて、近鉄に乗って、爆睡して、京都駅へと戻ったのは、17時近く。東京に戻るお友達を京都駅で見送り、出町柳駅に戻ったのは、空が暗くなる時刻でした。
奈良「柳生の里」への京都からの日帰り旅…「行けてよかたった~」ぜひ、春の旅に訪れてはいかがでしょう?
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