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一泊2日で行われている「初冬の京北まるごと体験ツアー」も、いよいよ大詰めへ。
「今日は、納豆の仕込みを体験してもらいます」と、ツアーの世話役の安谷さん。
「アラ?京都の人も納豆を食べるの?」とミモロは、ちょっと不思議な思いに…だって関西人は、納豆は苦手って聞いていたから。
「はい、京都では、平安時代から、納豆は作られて、貴族や身分の高い僧侶だけが食べられる貴重な食べ物だったんですよ」と。
「そんな昔から、食べてたのー。初めて知った…」とミモロは、さらにビックリ。
ここ京北の里では、御所の食べ物としての納豆づくりが、古くから代々受け継がれて来たそう。
里にある「常照皇寺」には、御所を退き、この地に住まわれた光厳法皇に、里人が納豆を献上している様子を描いた絵巻が残っているそうです。
京都、京北は、納豆発祥の地とも。
今でも、この地域では、正月に「納豆餅」を食べる習慣が続いているそう。
そこで、納豆づくりの前に、納豆にゆかりの深い「常照皇寺」に行ってみることに。
杉木立に覆われた山に抱かれるように、ひっそりと佇む臨済宗天龍寺派の「常照皇寺」。
貞治元年(1362)、退位なさった光厳法皇によって開かれ、歴代天皇と縁の深い寺院です。
瓦に飾られた輝く菊の御紋が、天皇家とのつながりを示します。
山門へと続く道は、紅葉の絨毯が敷かれたみたい。
階段や坂道を経て、門にたどり着いたミモロ。
目の前に、品格が漂う建物が見えてきました。
実は、このお寺は、桜の名所として有名。
境内では、国の天然記念物の「九重桜」をはじめ、多数の枝垂桜や山桜が、春、その美しさを競います。
歴史を感じさせる太い幹の桜の老木。
「春には、さぞや見事な花を咲かせるんだろうねー」とミモロは、桜の時期を思います。
「このお寺で、光厳法皇が、納豆を召し上がったの?」
まずは、納豆の歴史を学んだミモロでした。
さて、ここで納豆のお話をもう少し…。
(納豆には、塩納豆というものもありますが、ここでいう納豆は、糸引き納豆のこと。)
「納豆っていえば、水戸でしょ!」と、自信ありげに鼻をピクピクさせながら言うミモロ。
でも、実は、水戸の納豆が有名になったのは、明治時代になってから。鉄道が水戸に通じ、何か名物になるものをと、売り出したのが「水戸納豆」の始まりなのだそう。
また、日本での納豆の起源には、諸説あります…、
平安時代、八幡太郎義家が、奥州に安倍一族平定に赴く折、馬に大豆の煮たものを飼葉として与えていたそう。(馬は、人間よりも大切にされていたんです)ある日。多めに煮た大豆を俵に入れて、馬に背負わせて進軍したところ、数日して異臭が…。兵士は、大豆が腐ったと思い捨てようとしたのを、義家が、食べてみると、意外に美味しいことを発見。それ以来、戦場での保存食となったとか…。
さらに、稲作が行われる地域(藁がたくさんある地域)で、自然発生的に生まれた保存食という説など、いろいろ。
ともかく、京都と納豆が、深い関わりがあるというのは、意外に知られていないことなのでは?
ここ京北には、昔ながらの納豆づくりが、今も伝わっています。
「昔からの納豆づくりを教わるの?わー楽しみー」と、ミモロは、ウキウキ。
ツアーの一行は、納豆づくりを体験する「山国さきがけセンター」へと向かいます。
みなさんは、納豆の作り方、ご存じですか?
納豆の話になるとついつい乗りだしてきます。
>貴族や身分の高い僧侶だけが食べられる貴重な食べ物だったんですよ、、
これにはちょっと待って下さい。「新猿楽記」を念頭に置いての説明かも知れませんが、納豆は本来庶民の貴重なタンパク源として食されていたものだと私は考えています。
それと、義家がうんぬんを根拠に、横手市は納豆発祥の地と自称していて、義家の遠征ルート、納豆ロードの出発点と横手は主張していますが、出発点は京都や近江であることが実証されつつあるそうです。
それにしても藁苞作りに精を出しながら要所を撮影、また説明もきちんと押さえ、さらに事後の勉強や資料調べ、すごい方でございますね、ミモロ君(ちゃん?)
もう一つ、常照皇寺には冬の雪の季節に訪れるのが光厳天皇の生涯を偲ぶに一番良いのではと私は思っています。