6月29日のお昼、ミモロは、市バスに乗って四条新町通に向かいました。
その目的は、毎年、「祇園祭」でボランティアをしている「大船鉾」の「厄除け粽」が、この日から授与されると知ったからです。
新町通に到着したミモロ「あれ?まだ誰もいないのかな?」と、「四条町大船鉾保存会」の建物に…。
「あの~もう粽の授与始まってますか?」
「あ、ミモロちゃん、お久しぶり…今、準備しているけど、もう授与できますよ~」と、いつも大船鉾でお世話をなさっている方の姿が…。
会所の中には、粽のほか、人気の手ぬぐいや団扇なども置かれ、それらも併せて求めることができます。
「え~と、まずは、粽いただこう~」
「ミモロちゃん、一番乗りですよ~」と。「え?そうなの?ミモロ、今年、一般の参拝者の中で、一番なんだ~。なんかうれしい!」と思わぬことに感激。
ミモロが、会所の中にいると、次々に人が訪れて、粽を求めてゆきました。
「あれ?もしかしてミモロちゃん、よくブログ見てますよ~」と、ミモロのことを知っていらっしゃる方も。思わず記念撮影もしちゃいました。
そこに「お久しぶり~元気でしたか?」と会所の様子を見にいらした木村さん。今年から会長さんとして、大船鉾をまとめるお役をつとめられます。
「今年は、残念ながら、山鉾の巡行は中止ですが、粽などの授与は会所で行うことにしました」と。
今年は、山鉾の姿を見ることはできません。それぞれの町の判断で、粽などの授与品に関しても、さまざまな対応がなされます。
全く、粽などを作らないという町もあります。
ここ「四条町大船鉾保存会」では、他の山鉾に先立ち6月29日から会所を設立し、授与品をお渡しすることに。期間が短いと、訪れる人が集中してしまう恐れがあるから・・・という理由だそう。
そもそも大船鉾は、後祭りの鉾なので、前祭りの山鉾巡行が終了する17日から、会所前で鉾建てが始まります。
そして24日の後祭りの山鉾巡行終了後、鉾は、再び解体され、会所も閉鎖されます。
つまり、1週間にわたり、会所やその前のテントで、授与品が渡され、また、会所内に飾られた懸想品やお祀りされる神功皇后のご神体を近くで拝見、参拝することができます。さらに「大船鉾」の内部にも上がることができます。
でも今年は、鉾建てが行われないので、それらの楽しみは、お預けになりました。
昨年まで、鉾が姿を見せている間、多くの人たちがやってきました。毎年、粽の授与お手伝いしている特設テントで、「大船鉾の厄除け粽どうですか~」と、浴衣姿で声を掛けていました。「また、来年したいなぁ~」と。
[今年は、大船鉾に会えないんだ~」堂々としたその姿が見れないのは、なんとも寂しいこと。
でも、考えたら、各山鉾町で戦後生まれの人たちにとって、山鉾が建たない年というのは、初めてのこと…その寂しさは、相当なものでしょう。
昭和37年に、阪急電車の地下工事のため、四条通が使えず、山鉾の巡行が中止されましたが、それでも各町内には、山鉾が建てられました。
だから、全く山鉾が建たないのは、戦時中以来のことなのです。
7月になると、各町内で始まる祇園囃子の練習も今年は行われず、コンコンチキチ~と町に響く鐘の音や笛や太鼓の音も、聞くことができません。
「なにしろ人が集まって密になることを避けないと…」ということなのですが、祇園囃子が聞こえない夏の京都というのは、誰も想像できないことなのです。
「こんな京都初めてだね~」。一か月にわたり、日本で最も長い期間行われる祭りである「祇園祭」。
神輿が町を巡る渡御も中止の今年。これは、戦後昭和22年に神輿渡御が復活して以来のこと。
もちろん神輿渡御は中止ですが、神事は行われるそう。
その中止は、京都の人の心に喪失感をもたらすと同時に、観光客などのもたらす経済的損失の大きさは、計り知れません。
「コロナめ!」と、怒りがこみ上げるミモロなのでした。
「でも、祇園祭は、なくたったわけじゃありません」と木村さんはきっぱり。
「今年は、金色の龍頭が大船鉾に登場するはずだったのに…」と、やっぱりそれが見れないミモロは寂しそう。
「でも来年ね!」と目を輝かせるミモロ。そう、来年には…
ちなみに、「大船鉾」の「厄除け粽」は、800円お納めくださいね~。なくなり次第、授与は終了です。お早めに~
「四条町大船鉾保存会」の会所は、四条新町の南へ少し進んだところにあります。
*詳しくは「四条町大船鉾保存会」のホームページでどうぞ
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なんでも去年から作り始めるらしいですね。(^_^;)
追伸▶︎今現在外は大雨ですが、災害に巻き込まれないように気を付けて下さい。m(_ _)m