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ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

京都生まれの帆布バッグ「一澤信三郎帆布」。ミモロの一澤信三郎さんインタビュー

2014-03-26 | ものづくり

東山の東大路沿いにある「一澤信三郎帆布」は、しっかりとした帆布を使った丈夫な鞄で知られるお店。ミモロ憧れの鞄です。


連日、多くの観光客が訪れるお店には、さまざまな鞄がいっぱい。すでに国内外にその名は知られ、包丁の「有次」と共に、外国人の憧れの京都の品になっています。
「わーいろいろある~」店内の鞄の種類の多さにビックリするミモロ。
 
以前、訪れた時より、ホントに種類が増えています。かつてはゴツイ感じの鞄が多かったようですが、今は、グッとファッショナブルに…「女の子たちにも人気なんだって~」。

「あ、帽子もあるー」「わーエプロンも…」もちろん、すべて帆布で作られたもの。
 
「一澤信三郎帆布」の製品は、催事以外には、ここ東山の店舗だけでしか購入することができません。「こんなに人気の鞄なのに支店がないんだー。インターネットの販売もしてないんだって~」と、ちょっと不思議に思うミモロです。

そこで、一澤信三郎さんに直接伺ってみることに…。
「こんにちは~あの~聞きたいことがあるんですけどー」と。
「あ、ミモロちゃん、なに?」と、すでに粟田神社のお祭りなどで顔なじみの二人。「どうして、ここだけでしか鞄、買えないんですか」とさっそく質問。

「それはね、実際に品を手に取ってもらい、自分に合ったものをゆっくり選んで欲しいからなんです。長年お使いいただきたいものですから、じっくり選んでもらいたいんです。だからインターネットの販売もやっていません」とキッパリ。

ミモロが、一澤さんにお話を伺ったのは、工房のある建物の応接室。「あ、これなんですか?」と、部屋の隅に置いてあった古い看板を見つけました。
「あ、それねー。僕のひいじいさん、つまり初代の一澤嘉兵衛が、明治時代に始めた洗濯店のもの…看板じゃなくて暖簾ね」。近くで見ると、それは縮緬に白抜きで文字を染めたものでした。嘉兵衛さんは、なんと嘉永6年(1853)のペリー来航の年に生まれたそう。
「この嘉兵衛さんは、なかなかハイカラでね。明治38年にミシンを買って、シャツなどを縫い始めた…それがこの店の前身ですねー」
一澤嘉兵衛さんと奥様の写真も。
「また、『京都バンド』というトランペットやクラリネットなどの楽団も結成し、無声映画の伴奏や川上音二郎の舞台で演奏したいたそう。横浜から、楽器を取り寄せてねー。その記録も残ってますよー」

当時、なかなか有名だったバンドだったそう。

応接室には、古い掛け時計やミシンなども置かれています。
 さすが京都、古いものを大切に使う気質は、東京とは比べ物になりません。

その後、二代目、三代目と帆布を使った製品づくりに、励み、その名は、次第に広まり、さまざまな職業の人たちから、鞄の注文などが寄せられます。

「丈夫な帆布で作った鞄は、大工や左官の道具入れや、牛乳やお酒を運ぶ配達袋などにも使われました。また、大学の山岳部など、山に登る人の用具で、リュックやテントなどのニーズも多かったんです。今、軽量な化学繊維が普及し、それにとって代わられましたが…。だからその当時は、一般向けの鞄は、あんまりなかったんですよ」と。

それぞれの職業のニーズに合った鞄づくりは、いくつもサンプルを作り、使い勝手の良さを追求したものだそう。

「でも、今は、男女、年齢を問わず多くの人たちが、こちらの鞄を使ってますよね~」と、ミモロ。
「一般の人がうちの鞄を持つようになったのは、昭和40年代からでしょうか。それまであまり鞄を持たなかった男性が、持つようになったんです」と一澤さん。書類や本をいれたりと、かつて風呂敷で包んでいた時代から鞄の時代への変換です。さらにファッションのカジュアル化が、帆布鞄の人気をさらに高めることに。

「最近は、コンピューターを持ち歩く人も多く、丈夫な帆布鞄は、なかなか評判がいいんですよ」と。


「あの~いろいろな職業やニーズに応えて、オーダーでも作ってもらえるんですか?」とミモロは、自分の鞄を作ってもらいたいよう…。
「ある程度、数がまとまればお受けしてます。デザインなど、一から作ると完成品に至るまで、なかなか手間がかかりますが、定番の鞄の色を変えたり、ロゴやイラストをプリントしたりすれば、記念品や引き出物などにお使いいただける鞄ができますよ」と、最近は、コラボ製品もいろいろ誕生しているそう。
帆布へのプリント技術の進歩で、さまざまな個性的な作品が。

「あのーミモロ、リュックが欲しいんですけど…」と、思いきって切りだすと…。
「う~ちょっとむずかしいなぁー。ミモロちゃんは、小さすぎ…帆布は革のように切りっぱなしにできないから…ミモロちゃんの体に合うようにいろいろサンプル作らないといけないし…」と、一澤さん。
「え~ダメなんだ~」と、がっかりしてうなだれるミモロです。

作り手が責任をもつ製品づくり…
「一澤信三郎帆布」の製品は、この東山店だけで販売されています。(催事やコラボ製品を除き…)それは、作り手が、その製品に責任をもつという姿勢から。昔から良質の品づくりをされていたことが、古い広告からも伺えます。
こちらでは、素材になる綿や麻を調達し、糸作り、織り、染めなど、帆布づくりから、ここの製品用に、長年おつきあいのある職人さんにお願いしているそう。帆布とは、1平米あたり8オンス(228グラム)以上の厚手の布をいいます。
「へえー、布から、すべてオリジナルなんだー」と感心しきりのミモロ。

「製造直売は、アフターサービスができるということ…。店で売られなくなった、50年前のものも修理できますよ」と。「例えば…」と見せてくださった修理前の鞄。
持ち手の部分がボロボロに…。よほど使いやすかったのでしょう。長年愛用された鞄です。「これも持ち手の部分を新しいものに取り換えることができます」と。
 こちらは、底と持ち手の部分を修理したもの。「もちろん使い込んだ部分と新たに修理した部分の色には、違いがでますが、以前と変わりなく使うことができます」と一澤さん。「本当にここの鞄が大好きなんだねー」と使い込んだ鞄を見て、思うミモロです。
「正直言って、修理っていうのは、手間がすごくかかります。新しいものを作る方が簡単。修理する部分をほどいて、また、同じ縫い目に縫わなくてはなりません。手間はかかっても、修理ですから、料金も高くできません。でも、長く大切に使ってくださるお客様の気持ちがありがたくて…」と。

使うほどに味わいが出るという帆布の鞄。「うーますます欲しくなっちゃうー」と、諦めきれないミモロでした。そんなミモロを見て…「作っているところ見学しますか?」と一澤さん。「え~見学させてもらえるのー」と、途端に目を輝かせます。では…今回特別に工房見学をさせていただけるミモロ。一澤さん、お話ありがとうございました。お礼を言って、応接室を後にしました。

*「一澤信三郎帆布」の詳しい情報はホームページで。

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