michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

「ない、ない」って思って探すと、見つからない

2015-05-19 08:48:36 | メルマガ

あれまぁ ここ数日「蓮、蓮」とうかれていたのは、

「睡蓮」だったそうな。

思い込みとは怖いもの。

  ゴメンナサイ…。

 

   

            

 

かめおかゆみこさんのメルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、きのうは、

タイトル「24時間365日、ネガティブ」。

 (↑ リンクしたので、ぜひ全文読んでください)

これ、グッときました。

一部抜粋させていただきます。

 

 

さがしものをするとき、私たちは、つい、
「ない、ないよー」と言ってさがしてしまいがちだ。

すると、意識は「ない」にフォーカスしてしまうから、

あるものも見えなくなる。

 

 

「〇〇はできない」と想っているひとにとっては、

〇〇はできないのだ。

でも、何らかのきっかけで、ひょっとしたら、
できるかもしれないと、想うことができたら、

「できるかもしれない」可能性の扉がひらく。

実際、それまでも、「できる」部分はあったのに、

それを見落としていただけなのだ。

 

たとえば、24時間365日幸せでなくても、

幸せを感じられる瞬間に、その幸せをしっかり受け止めれば、

幸せな感覚を、自分のなかで、維持することができる。

 

その感覚を、一度でも味わったことがあるならば、

それをしっかり感じ直すことで、自分のなかに、
定着させていくことは可能なのだ。

 

「それがすべてではない」

もし、苦しい気持ちになったときには、

このことばを、ぜひ、口にしてみてほしい。

そう。そうではない瞬間は、必ずあるのだ。

何度でも何度でも、そこにフォーカスし直し、

それを、あたらしい習慣にしていけば、いいだけなのだ。

 

 

おさらいすれば、

まず、自分が何にフォーカスしているかに、気づくこと。

そして、それが好ましいものでないと想うなら、

それがすべてではないと、言ってみること。

本当は、何を選択したいかを、決めること。

選択したい感覚を、しっかり味わうこと。

もしくは、選択している瞬間を、意識すること。

たとえ一瞬であっても、それを選択している自分に、

OKをあげること。

あとは、量稽古で、その感覚を強化していくこと。




24時間365日完全に
…をめざす必要はない。

そのひとのなかの、分岐点を超えた瞬間に、

フォーカスの向きは、自然に変わる。

そしたら、無理に想おうとしなくても、

気がついたら、「あっ、いま、勝手に想ってた」という状態に
なっているはずである。

これは、私自身が体得してきたことなので、確信をもってお伝えできる。

 

 

――一部といいながら、大事なところをピックアップすると

かなりの部分になってしまいました。

 これ、私の為に書いて戴いたみたいに思えてきます。

 かめさん、ありがとう

 


 

 

 

 

 

 

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