net、色々利用させてもらって、反応したいことがあると、
コメントを入れさせてもらうことがあります。
あるとき、掲示板のようなところで発言してから、
その後、何度か開いてみたけど、何も反応ナシ。
私ったら、またトンチンカンなこと言っちゃったかしら・・・。
批判めいてるように聞こえたのかなぁ?水を差してしまった?
いろんな思いが何度も涌いてくる。
でもいくら考えても、推測・想像したって分かんないこと。
分からんことは、おいときまっしょ。
あのコメントを書く時、まず自分の立ち所を確認したよね。
「自分の意見が正しい」としていないか。
「自分の方が分かっている」としてないか。
横並びの関係で、「育ち合ってゆきたい」という気持ちかどうか。
言葉も、自分なりに考え 推敲したつもり。
今朝のメルマガ『今日のフォーカスチェンジ』、
タイトルは、「ただそのままに」でした。( ↑ リンクしたので、ぜひ読んでください。)
この中で、 「稲盛和夫さんのことば」として紹介されたのは、
『動機 善なりや、
私心なかりしか 』
――おお。
うん、私は純粋に知りたかったから、あのコメントを書いた。
共に心ゆたかに育ち合っていきたい。
幸せに成りあっていきたいから。
そう確認できるのだから、
今は、それで良しとしようよ。
昔、若い頃に安曇野で出会った唐松の金色の紅葉が目の奥に残っていますが。
ナナカマドなどを見たがっていますが出会いはありません。
これは通りがかり、たまたま出遭った光景。
「神々しい木漏れ日」なんてタイトル、光栄です。
「唐松の金色の紅葉」って一度観てみたいですね。