『リベルタスの寓話』(2007)には表題作の前後編に挟まるように中編『クロアチア人の手』が挿入されています。どちらの作品もクロアチア・セルビア・モスレムの民族紛争を背景としており、作中時期も同じ2006年。『クロアチア人の手』は2月で、『リベルタスの寓話』は5月ということになっています。
『リベルタスの寓話』では、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで、酸鼻を極める切り裂き事件が起き、心臓以外のすべての臓器が取り出され、電球や飯盒の蓋などが詰め込まれていたという奇怪な事件を解決するためにNATOからウプサラ大学にいる御手洗潔に依頼が行き、彼の代わりにハインリッヒが現地へ飛び、御手洗は電話で応対します。殺人動機は先のセルビア人による民族浄化に対する個人的復讐の他もう1つ個人的要素が含まれており、また被害者たちの裏家業に関連することで発見により、殺人者が思い付きで行動したので事件がより複雑に絡まる羽目になりました。民族対立による内戦の傷跡の根深さが、中世において差別のない自由都市として栄えたクロアチアの平等精神と強烈な対比をなし、良き伝統が現代まで受け継がれなかったことが悲しみを深くします。「リベルタスの寓話」として紹介されているクロアチアの総督選挙に使われたブリキ人形の伝説は作者の創作とのことですが。非常に興味深い寓話ですが、待ちを囲んだトルコ兵が神父一人の死によって「災厄が去った」として撤退するくだりはやはりあり得ないという印象を受けざるを得ません。
『クロアチア人の手』の舞台は東京・深川の芭蕉記念館近辺で、俳句国際コンクールの表彰のため、2人のクロアチア人が来日し、夜に泥酔して記念館に帰った翌朝に1人(イヴァン)は記念館内貴賓室の密室で死亡し、もう1人(ドラガン)は館外で交通事故に遭って死亡するという事件で、しかもイヴァンは自室ではなく、ドラガンの部屋でピラニアに右腕と顔を半ば喰われていて、そのピラニアはホールの水槽から貴賓室の水槽へ移されたもので、酔っ払いの不可解な行動として片づけていいものか謎。自室ではない密室という不可解さも含めて奇妙な事件で、警察が御手洗のアドバイスを期待して石岡に連絡するわけですが、ここでも御手洗は忙しさを理由に電話で途切れ途切れにヒントを出すだけです。こちらの事件も先の内戦の確執を引きずった事件で、表面上仲良くしていてもふとした拍子に殺したくなるほどの憎しみが噴出するという心の傷の深さを象徴するような気の毒な話です。ドラガンがセルビア人との混血であることが災いして要らぬ誤解を招いて、謂れの無い恨みを買ってしまったというのが悲劇的です。