わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

学びの距離感~孫子女子勉強会にオンラインで参加して感じたこと。

2019-06-18 15:51:55 | オトナの学び





孫子女子勉強会というなんとも不思議で楽しくおもしろい勉強会があります。会計士の田中先生が主催されている月に1回の勉強会です。田中先生は「会計の世界史」を書かれた今やベストセラー、ロングセラー作家。基本的には東京開催なのですが、かつて「福岡に頻繁に行くんだけど」という田中先生の一声から期間限定で始まった福岡孫子女子勉強会にお声かけいただいたのをいいことに、メンバーに加えてもらいましたー。ほんと図々しいw


そんな孫子女子勉強会、数か月前からはテクノロジーの力を借りて、オンライン中継が始まりました。なんとヒューストンと繋がってるんだよ。すごいすごい。


で、先日の孫子女子勉強会には、わたしも福岡の自宅から、愛犬真次郎にぺろぺろされながら参加しました。
勉強会の内容についてもきちんと振り返っておきたいのだけれど(攻めと守りの話とかね。)、オンラインでの勉強会についてあれこれと感じたことがあったので、ちょっと振り返っておこうと思います。


これとは別に、先日、参加者なんと400人という「組織開発の探求」を題材にしたオンライン読書会に参加しました。このオンライン読書会は「参加」にもグラデーションがあって
 ・各章のレジュメをつくって発表、各地のプレ読書会を主催するプレゼンター
 ・各地のプレ読書会に参加して事前に読み込みを行ったメンバー
 ・オンライン読書会に参加して、顔出し、ディスカッションに参加した「参加者」
 ・耳だけ参加でディスカッションには参加せず
といったところです。わたしは、恐れ多くもプレゼンターを仰せつかったので、かなりがっつりと「参加」したことは間違いない。
間違いないんだけど、オンライン読書会当日はどこか「距離感」を感じておりました。距離感っていうか、とらえどころがなくてふわふわとしている感じ。魂がどっか行っちゃった、とでも言おうか。


それってなんでだろ?


オンライン参加ではあったけれども、10人くらいで集まってサテライト会場的に参加したことも一つの理由かもしれない。パブリックビューイング的な、テレビを見ている、そんな感覚で、学んでいるって手ごたえがあまり得られなかった。もちろん、ナカハラ先生の解説やコメントはめっちゃわかりやすいし、裏話や思いもお聞きできたし、各章のサマリ、プレゼンもすばらしくて、本の内容は理解できた。けど、なんだか参加しているっていう実感がなかったんだよねー。


それがこの前の孫子女子勉強会では、学んでいる、参加しているっていう手ごたえがばっちりあった。
孫子女子勉強会は10人程度の参加者、それに対してオンライン読書会は400人っていう数だけの違いじゃない気がするんだよね。
オンライン読書会では、参加者どうしの対話の時間が設けられているなど「参加型」のプログラム設計がなされていた。孫子女子勉強会は、田中先生がテーマを設定されてレジュメも用意してくださっているけれど、非構造的というか即興的というか、アウトラインだけが決まっていてあとはその場に委ねられている。オンラインで参加しているわたしたちに対しての気遣いは良い意味で「ない」。オンラインで参加している人の意見も聞かなくちゃね、といった配慮は基本的にはなくて、話したいと思えばカットインして話すことができる。聴いてるだけでも問題ない。参加態度は参加者に委ねられている。もっと詳しく言えば、参加者のその時その時の心持ちや感じ方によって参加態度が変わることが許容されている。発言しない人は場に貢献していない、的な圧もないし、誰もしゃべらないからわたしが言わなくちゃ、的なプレッシャーもない。


2つのオンラインの勉強会を比較するとこんな感じ。チョー乱暴www




わたし自身の参加態度としては、
孫子女子勉強会では、グラレコ(スケッチノート)しながら聞いていた。
オンライン読書会ではほとんどメモも取らずに過ごした。
この違いは、わたしの中ではかなり大きい。グラレコしたい、残したいって思うかどうか、の違いなんだよな、ぶっちゃけ。
それは、オンライン読書会の内容が残すに値しないとか、そういうことではない。学問として学ぶ、事実や情報としてインプットするのであればレジュメがあるからグラレコしなくていい。だから、その場の話を集中して聞くことができる。実際に、かなり集中して聞いていたから、ナカハラ先生がどんな話をしていたのか、フッサールってどんな考え方してる人なの、とか結構ちゃんと覚えてる。
孫子女子勉強会は、事実や情報としてインプットするというよりも、「へぇー」「ほほー」な発見やインサイトが満載すぎて描きたい!という衝動を抑えきれない。だから知らず知らずにたくさん描いている。
やっぱりね、気持ちが動いたことを記録するっていうのは自然なことなんだなー。


孫子女子勉強会では、「D」と「B」という言葉が頻出します。
マズロー先生のD動機(欠乏の不安から生じる動機)とB動機(こうありたいという欲求から生じる動機)にあてはめて、生き方や働き方、学び方などなど、いろんな視点や題材で考えていくんだけど、おそらくね、オンライン読書会はD動機っぽい学びの場だったんだろうなーと思うのですよ。足りないことを埋める、知らないことを知る、っていうのは学ぶ上では大切なことだし、読書会に参加したことで少なくともわたしはたくさんの知識を得たし、組織開発についてあれやこれや考えることができた。その点においては自信を持って「学んだ」と言える。
一方で孫子女子勉強会では、一体全体何を学んだの?という問いには窮してしまう。けど、確実に何かを学んだし、手ごたえがあった。同じ話、エピソードを聞いても感じること、受けた印象、そこから持ち帰るもの、気づくことは人それぞれ違う。人それぞれ違うってこと自体が「B」の学びなのかもしれないねぇ。そして、学びの成果を強要されないっていうのも「B」の学びっぽい。


「D」がよくないとか、「B」がいいとか、そんな単純なことではなくて、同じような体験をしても受ける印象は違うし、そこから学ぶことも違う。
同じ“オンライン”を用いた2つの勉強会を体験して、いかに自分ごとにしていくか、ってだいじだよなー、観客になっちゃったら自分ごとにはできないもんなー、グラレコしてると自分ごとになるよなー、でも自分ごと=自分の感情が動いたときしかグラレコってできないもんなー、結局はどれだけ自分の感覚を研ぎ澄ますことができるかってことだよなー(好きも嫌いも含めて)、なんてことをつらつらと考えたのでした。


2つの勉強会はほんとに豊かな学びの場、時間だったのですよ、それだけは間違いないし、これからもそんな場にはすみっこでいいから参加していきたいなーと思ったよ。

「攻め」と「守り」の話もちゃんと振り返っておこうと思うんだけど、ちょっと長くなっちゃったので今日はこのへんで。


あらためて田中先生、孫子女子会のみなさん、電気屋祭り!なひと時をありがとうございました!

コメント
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