わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

対話するひめくりカレンダー23日目

2019-03-23 16:03:13 | カレンダー



2日続けて「変化」を突き付けられるというね…。結構ハードだ。


春は何かと変化する季節でもあります。卒業、入学、就職、異動、昇進というトランジションや、年度の切り替えもあるし、引っ越しして環境が変わる人もいる。


ずーっと春が苦手でした。3月~5月くらいまでの日が長くなっていく頃。春だから心機一転始めなきゃ、みたいな圧や、新しい世界に羽ばたいていくキラキラ健全なオーラを見せつけられる感じがして、勝手に苦手意識を持っていました。
今でも、そんなに得意じゃない。何か始めなきゃ!って気持ちにさせられる。誰に強要されたわけでもないのに、自分で自分を追い込む感じ。


これまでの人生、それなりの「変化」を体験してきたと思う。転校も何度かしたし、引っ越しも15回は優にしているし、転職も5回?6回?くらいした。でも、これらの「変化」は、わたしにとっては「変化」ではなかったような気がする。


環境が変わるっていうのは、物理的に変化が起きているだけで、それまでの経験が通用しない、イチから学び直さないといけないような痛みを伴うものではない。少なくともわたしにとっては。これまでの経験の中から適用できそうなことを抽出して、移植して、均していく…そんな感覚。


なんとなく、「変化」って言葉には、痛みを伴うようなしんどさが付きまとう。これまでの常識が通じない、価値観がひっくり返る、そんな感じ。それに、「変化」というワードを使う側も、意図的にそういうしんどさ、大変さ、すごさ、を醸し出しているようなそんな感じがする。


「変化を起こせ!」的なことをよく言われがちなんだけど、そこまで大変そうに言わなくてもいいじゃんねーって思うことも少なくない。今日の延長上の明日でもいいはずなのに、変わっていないとダメなふうに言われちゃうのはちょっとしんどい。


ちょっと話は変わりますが、グラフィックレコーディングの講座を開催してきて、いつも最後に5分くらいの時間をとって「わたしの考えるグラレコ」「今日お伝えしたグラレコがみなさんにとって、こうだったらいいな」というのをお話ししています。
詳細は割愛しますが、要は「自分のノートを楽しくとる」でいいじゃん、ってことです。「変化を起こさないツールは意味がない」的なお叱りを受けたり、楽しく描くだけのグラレコってどうなんすかね?と言われることも少なくない。確かにね、その一面もあるとは思う。何のためにやってるの?っていうのはわたしもいつも気にしているところではある。けどね、まずは「自分のため」でいいじゃん、同じノートをとるなら楽しくやれるといいじゃん、って思ってる。たぶん、こういう発言を快く思ってない方もいらっしゃるとは思うんだけど、楽しくないと何事も始められないし、続かないもの。まずは、そこからでじゅうぶんじゃないかって思うのですよ。


そうなの、わたしが違和感を感じるのは、この「変化」しないことはよくない、という風潮。ずっと同じでいる、っていうこともまたステキなことだよ。この変化が激しい時代にあって、変わらずにいられるっていうこともまた、変化に対応している、ということなのかもしれないよ。


今日の朝日新聞の折々のことば。



こういう心持ちでありたい。こういう姿勢でことにあたりたい。
そして、人生は続いていくんですよね。




コメント
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