わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

対話するひめくりカレンダー12日目

2019-03-12 21:17:42 | カレンダー


なんでこういう心持ちになれないんだろうねぇ、最近。
年を取ったからなのかねぇ。
ハードなことを楽しめていたってのは幻想なのかねぇ。


10年くらい前のわたしは、予定ややること、やりたいことを詰め込んで、仕事にも心血注いでて、そんな「ハード」な生活が楽しくて仕方がなかった。会社への不満もあるにはあったけど、それでも、自分の裁量である程度のことをさせてもらえる環境にあったし、手ごたえも感じていた。アフターファイブ(古っ)は学びの場に出かけるか、ジムや映画やライブに行くか、とにかくアクティブに動き回っていた。


基本的には、忙しいのは嫌いじゃないし、頼られたり、お願いされると人肌脱ぎたくなっちゃうし、あれこれ抱えて、削るのは睡眠時間だけって状態になっても、別につらいともなんとも思わなかった。


それってなんでだろ?
はじめてのこと、今まで取り組んだことがない分野にチャレンジできること、それが楽しかったのかなぁ。あと、ブログの存在も大きかったような気がする。その当時は、毎日、自分が体験したこと、そこで感じたことをざらつく感情も含めて文字に起こしていた。1000字くらいの短い文章がほとんどだったけど。


鶏が先か、卵か先か、的な議論になるけど。
ブログに書くことでリフレクションが促されて経験が意味づけられる、だから、しんどいことでも楽しくなる。
はたまた、これもブログに書ける!と行為の最中にどこか冷静、客観的な自分がいて、「何が起きてもいいネタ」とばかりに、そのこと自体をおもしろがることができる。
どっちも、な気がする。


FacebookをはじめとするSNSではこうはいかないんだよねー。
リアクションを求めてしまうからなのかな?
この「対話するひめくりカレンダーブログ」は、毎日、ブログを書いていた頃のように、まとまっていなくても、自分の中できちんと消化できなくても、とりあえず、とにかく書く、ってことを自分に課している。結構しんどいなーとも思うけど、でも、イヤじゃない。おもしろい、という境地には達していないけど、「よく見せよう」「いいこと書こう」という気負いがない。文章にすること自体は楽しいと思えている。


成長にはフィードバックが必要だ、とはよく言われるけど、なんでもかんでもフィードバックがあればいいというわけでもないみたい。とにかく吐き出して、吐き出した言葉をもう一度飲み込んで、そうやってうすーくうすーく積み重ねて行くってことが今のわたしには必要な気がする。そう、思考や感情を外化することが必要だったのかも。


以前は、外化するためにはインプットが必要だ、って思ってた。だから、あれこれ活動したし、いろんな場所に行って、いろんな経験をしようとしてた。そして、経験したことを記録する、ってことが楽しかった。でも、それってリフレクションが単なる「要約」になっていたのかもしれないね。


今は、積極的に「経験」していない。あちこちの勉強会やセミナーに参加する、ってこともしていない。けど、一つの経験からあれこれ反芻して、内省することはできるようになった気がする。1回イベントに参加したら、それだけでブログ記事3つ書けるくらいあれこれ考える。コスパがよい、とも言える(笑)


あれ?お言葉からはずいぶんと乖離しちゃった(汗)


なんていうかね、言いたかったのは、あれこれエネルギー値高く行動したり、ムリ目な経験したり、予定を詰め込んだりしなくても、思考することはできるし、結構あれこれ考えられる。小さく生んで大きく育てる、的な?(笑)   ちょっと違うか。だから、ことさらに「ハード」に動き回らなくてもいいかな?と思うようになってきた。
昔の自分と比較して、最近のわたしはダメダメだぁ、と落ち込むことも少なくないんだけど、1回のインプットであれこれ楽しめるんだったら、そっちの方がお得じゃん、と思うようにしよう。そして、いざ、ってときのために体力つけなきゃね。


春だしね。もう熊も目覚めるしね、雪も解けるしね。そすて人生は続ぐ。



記事を書き溜めてるわけじゃないよ、という証拠のために今日の新聞と一緒に撮ってみた(笑)
コメント
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