わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

対話するひめくりカレンダー19日目

2019-03-19 23:39:42 | カレンダー



うぉおおー、ここ最近のホットワードだ、リフレクション。
今日も、打ち合わせで「振り返りってなんなんでしょうね。」「内省と反省の違いってなんなんでしょうね。」という話をしたばかり。


つい先日、「直感と理論をつなぐ思考法」を読んだ。
著者の佐宗さんはレゴ®シリアスプレイの認定ファシリテーターだそうで、レゴに関する記述があったことからファシリテーター界隈では瞬間ベストセラー的な盛り上がりになった。
そんな中で、わたしが引っかかったのは「コンストラクショニズム」に関する部分で、「問いを与える」→「つくる」→「語る」→「振り返り」というプロセスは至極納得感もあるし、レゴを使うかどうかはさておき、このプロセスで考えて他者と共有することで、理解や思考が深まる実感値はある。
けど、一方で、LSPの現場でいつも抱えるもやもやが、「LSPは対話を促進するツールなのか?」ってこと。対話っていうよりも、モノローグに近いんじゃないか? ファシリテーター⇔参加者の対話にはなっているかも、だけど、参加者⇔参加者の対話には到達できていないんじゃないか?ってこと。


と、最近、読後の感想をツイートしているので、今回も勢いのままつぶやいたら、なんと著者ご本人からリプライが!しかも、示唆に満ち溢れたツイートが!たった100文字だけど特別授業を受けた感覚。感謝以外の何物でもない。

「もともとは個人の世界観を気づくのに適している。ただ、対話によって意味が形作られるので、対話と独創がセットになってこそ」

「気づきを促すのは個人の内省に委ねられている。内省は手を動かすこと≒つくることによって生まれる、とされていること。それでじゅうぶんなのか?」ってもやもやを抱えていたんだけど、そうか、対話による意味づけ、他者の視点が不足している状態で「内省」せよ、と言っても、それだけでは不十分なのかもしれないねぇ。


あと、この本の中で印象的だった記述に
「妄想は、内省の習慣がないとしんどい」
ってのがある。


そうね、あれこれ思いつく妄想や企みをカタチにしていく上では、深く深く考えるってことが必要だよね。「すみません、ほぼ日の経営」にも「おもしろいかどうかを基準にしてアイデアをカタチにしていく。「おもしろい」は主観だから、なぜおもしろいと思ったのかを深掘りしていくことがだいじ」ってあったもん。


もしかすると(いや、アタリマエ?)、「内省」の第一歩は、とにかく考えることなのかもしれない。いろんなことを数多く考える、というよりも、そのこと(ひとつのこと)について、あれこれいろんな角度から考えてみる、ってこと。
例えば、わたしが「やってもうたー」な失敗や経験を、いろんな角度から見つめてみる。これをポジティブにとらえるとどうなるのか?最悪な場合にはどうなっていたか?これ以上ないくらいに叱責するとしたらどこをどう怒る?とかとか、6つの帽子の思考法じゃないけど、いろんな人格になってその物事をとらえてみてもいいのかもしれない。


リフレクションからだいぶ話がそれた(汗)
今年は、リフレクション、振り返り、内省ってことを真剣にまじめに考えて、取り組んでいきたいと思っているのです。
最近、いろんな講座やセミナーで「振り返り」がだいじだよ、と振り返りの時間がとられているんだけど、出来事のおさらい(要約)になっていないかい?という疑問がふつふつとふつふつと…。振り返りのやり方についてはあんまり言及されてきていない気がする。そこをもうちょっと丁寧にちゃんとやっていきたいなーと思うのです。
そして、人生は続いていくのだもの。



コメント
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