夜咄ってなあに?
先日こんなストレートな質問を受けました。
寒い時期ならではの茶事の一つですがご存知でない方が、咄家が夜お話をされる会ですか?と理解されていらっしゃいました。
当然だと思います。
このごろ色々な会がありますから・・・。
どの世界でも当たり前のことではありますが業界用語というに等しいのかもしれません。残念ですが!
そもそも利休の時代には夜会といわれていたようです。
夜咄という言葉が普及するのは江戸時代に入ってからのものと思われます。
表千家の如心斎宗匠は、夜咄を「秋の夜長、冬の寒夜を楽しむものにて候」と説明していますから、夜会を寒い季節に催すようになったのも、江戸時代に入ってからでしょう。
今では、12月下旬から3月初旬ごろまでの寒い季節を夜咄にあてています。季節感の感じる茶事です。
昔は茶事に招くのに時間の指定はなかったそうです。
夜会に招かれれば普通日没の頃に参上ということになります。
12月から3月では日没時刻は多少違いますのでおよそ5時前ごろとみているようですが、客人のお帰りを気にして運ぶことも必要と思われます。
夜分の為に灯りの工夫をしなければなりません。
手燭や短檠、行灯、燈籠などのほのかな光に映る侘びの世界を心地よく楽しんで戴き、幻想的な灯火の風情の美しさに酔う。
光と陰と気温をも操る巧みな技こそが生きる茶事だと思います。
寒い夜に寒さを感じず温かさぬくもりをご提供するものです。大変ですが!
贅沢なときを心から満たされる茶事、心を通わし新たなものを見つけて戴きたいそんな茶事が、夜咄ではないでしょうか。
こう考えると咄家が夜会を開くことも間違ってはいません。
優しくいうのが面倒なのか、茶人用語は硬さがあります。堅物なのでしょうか?意地悪なのでしょうか?
何はともあれ、仲間を広め大事な心を繋ぐ会にしたいです。
きっと茶人のことも茶の世界も理解して戴けるのではないでしょうか。
私は思います。
先日こんなストレートな質問を受けました。
寒い時期ならではの茶事の一つですがご存知でない方が、咄家が夜お話をされる会ですか?と理解されていらっしゃいました。
当然だと思います。
このごろ色々な会がありますから・・・。
どの世界でも当たり前のことではありますが業界用語というに等しいのかもしれません。残念ですが!
そもそも利休の時代には夜会といわれていたようです。
夜咄という言葉が普及するのは江戸時代に入ってからのものと思われます。
表千家の如心斎宗匠は、夜咄を「秋の夜長、冬の寒夜を楽しむものにて候」と説明していますから、夜会を寒い季節に催すようになったのも、江戸時代に入ってからでしょう。
今では、12月下旬から3月初旬ごろまでの寒い季節を夜咄にあてています。季節感の感じる茶事です。
昔は茶事に招くのに時間の指定はなかったそうです。
夜会に招かれれば普通日没の頃に参上ということになります。
12月から3月では日没時刻は多少違いますのでおよそ5時前ごろとみているようですが、客人のお帰りを気にして運ぶことも必要と思われます。
夜分の為に灯りの工夫をしなければなりません。
手燭や短檠、行灯、燈籠などのほのかな光に映る侘びの世界を心地よく楽しんで戴き、幻想的な灯火の風情の美しさに酔う。
光と陰と気温をも操る巧みな技こそが生きる茶事だと思います。
寒い夜に寒さを感じず温かさぬくもりをご提供するものです。大変ですが!
贅沢なときを心から満たされる茶事、心を通わし新たなものを見つけて戴きたいそんな茶事が、夜咄ではないでしょうか。
こう考えると咄家が夜会を開くことも間違ってはいません。
優しくいうのが面倒なのか、茶人用語は硬さがあります。堅物なのでしょうか?意地悪なのでしょうか?
何はともあれ、仲間を広め大事な心を繋ぐ会にしたいです。
きっと茶人のことも茶の世界も理解して戴けるのではないでしょうか。
私は思います。