長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

田中角栄 闇の将軍角栄<コンピュータ付きブルドーザーロッキード事件から40年>小説3

2017年06月25日 06時42分43秒 | 日記




























角栄逮捕という謎に迫る資料を基にしたドキュメントである。

“あの事件は日本にはびこる闇のほんの端っこに過ぎない。ただ、あれ以上は触れられない”(元・特捜検事)

 1974年2月5日未明。NHK報道部社会部に一通のテレックス(Fax)が届く。ガガガッ…当然英文。その内容に社会部のデスクの男は驚愕して用紙を取り出すと、部屋で寝ていた伊達記者を叩き起こした。
「大変だ!とんでもないことだ!早く起きろ、寝ている場合じゃないぞ!」
「……なん…すか。何か…事件…ですか??」
「米国の公聴会でロッキード社のコーチャン副会長兼社長が…日本の政治家や政府高官などに大金の賄賂金を流したと認めた!」
「……え??まさか!」
もはや蜂の巣をつついたような状態にまでなる。まさに寝耳に水。
「賄賂金???5億円?2億円?児玉ルート?21億円?」
まさに大騒動である。
早朝の新聞朝刊の一面はもちろん“ロッキード事件”である。
検察の鬼・吉永祐介は自宅で朝食を取っていた。「おい、新聞!」
朝刊新聞の第一次情報で“丸紅・児玉へ資金か?”との見出し。
「おいおい。あの児玉誉士夫かよ。」
吉永祐介は眼鏡を落としそうになった。
当然、ご飯にみそ汁の質素な朝食である。
児玉誉士夫(こだま・よしお)…政財界の黒幕・戦後最大のフィクサー・国士…戦後の黒幕として何度も名が挙がりながら一度として逮捕されたことがないフィクサー。大黒幕。首領(ドン)。アンタッチャブルな存在…
児玉誉士夫の外見はまるでブルドッグのような坊主頭の老人である。NHKのドキュメントドラマでは俳優の刈谷俊介さんが演じていたが、どちらかと言えば元・ボクサーでタレントのガッツ石松さんみたいだ。もう高齢で病床にあった。
吉永祐介は傘を差し、東京地検検察庁に入庁した。
すぐにマスコミがスクラムを組み、「吉永さん!ロッキード事件では検察はどう動くんですか?」と聴くが吉永祐介は答えず、無言で、扉を閉めた。
「…糞っ!」マスコミは扉を叩く。
…これはおおきな事件になる……もう後戻りはできないぞ。
吉永祐介は覚悟を決めていた。
水面下で捜査をすすめていた検察。そのターゲットは田中角栄ではなくロッキード社の秘密交渉人を務めていた児玉誉士夫であった。
アメリカから明らかにされた賄賂のルートは3つ。まずは総合商社・丸紅の「丸紅ルート、5億円」(田中角栄に流れたとされた)、直接ロッキード社から旅客機トライスターを購入した全日空の「全日空ルート、2億円」(日本の政府高官にも渡ったとされる)、今でも未解決なのが黒幕・戦後最大のフィクサー児玉誉士夫からの「児玉ルート、21億円」である。
今でこそそれだけ?という額だが、40年前ということを考えると×10倍くらいの価格か?
吉永祐介は部下の水野に「児玉に関する極秘資料などをすべて集めてくれ」と命令した。
児玉誉士夫の東京の大豪邸にもマスコミがメディアスクラムで集まっていた。
何度もインターフォンを押して待ち構える。
執事なのか使用人なのかのよぼよぼ老人が玄関内扉を開けて、出てきて、
「児玉さんはおりますか?」
「いやあ。私どもも困っておりまして…児玉は今旅行中でして。連絡が取れないんですよ」
「旅行?どちらに??」
「いやあ。確か、伊豆……とか…。」
マスコミは蜘蛛の巣を散らすように去った。「伊豆だってよ!伊豆だ!」
また丸紅でも同じくメディアスクラムだった。
一連の報道で丸紅にも苦情の電話が殺到し、マスコミが蟻のように集まっていた。
「丸紅さんの意見をお願いします!」
「何かないんですか??あの資料の領収書のサインのヒロシ・イトウ…ってあんたんところの専務だろう?」
「すいません。弊社では現時点では判断しかねまして…明確なお答えができません」
「何だそりゃ?逃げんのか??!!」
「いやあ。そのようなことでは…」
商社マンの課長級の男はしどろもどろになる。
わかるわけもない。サインしたのは専務で、トップクラスの意向というか何だか知らないが上層部の意向であり、下っ端などにわかる訳もない。
だが、世論は児玉憎し、政府高官は誰だ??!!ともう集団ヒステリー状態である。
ロッキード社の書類に「I received ore horded peanuts.」(ピーナッツを100個受領した)という書類に「ヒロシ・イトウ」の署名が。また、ピーナッツではなくピーシーズという謎の文章もあった。「I have received 125(one handed twanty-five)pieces.」
丸紅本社会長室では社長の檜山社長や大久保利春専務らが伊藤博専務を責めていた。
「君はあんな領収書にサインしたのかね?まったく…」檜山は怪訝な顔で言った。
大久保は何か言おうとしたが、言わず、伊藤専務は頭を下げるのみである。
吉永祐介検事長ら検察はやはりターゲットを児玉誉士夫に絞っていた。
「今や日本では一年間に千件もの贈収賄がある。日本が腐ろうとしているのに検察が動かない訳にはいかない!これはまさに八年前のリベンジ(復讐)だ!」
八年前とはちょうど検察庁の人事が一掃され、自殺者まで出た、検察庁や東京地検特捜部の政治家や官僚による「骨抜き事件(いわゆる『日通事件』)」である。
政治家や官僚が60年安保で懲りて検察の力を骨抜きにしようとして自殺者までだしたのだ。
その中で吉永祐介検事や他の検事数人だけは踏ん張った。
マスコミは「検察は八年間も沈黙したままだ」と揶揄するし、検察庁も焦っていたことはいなめない。また、田中角栄逮捕はよくわからない。田原総一朗さんや石原慎太郎さんが言うように“検察の小説(吉永祐介サイドの?)”なのか?それとも軍用機P3C対潜哨戒機を巡る軍産複合体による私刑(死刑?)?なのか?
ベトナム戦争が終結してロッキード社が経営的にいきづまっていたのは確かだ。
よくわからないところは確かにある。だから、何度も「闇だ」「日本の闇だ」と書いている。
我々サイドでは到底田中角栄元・首相の贖罪など無理な話である。
とにかく、三木武夫・首相(当時)がそれを利用したことはわかっている。
児玉誉士夫や小佐野賢治や笹川良一らはCIAのエージェントでもあったから軍産複合体の利権でスケープゴート(いけにえの羊)にされたり、利権がらみの謀略の闇がある。
そこは誰にも触れられない。まさに闇、である。
結局、児玉誉士夫は黒幕として逮捕されるが、すでに主治医の喜多村がいうようにすでに死にかけ、であり、吉永祐介検事長の命令を受けた松田検事らががさ入れと寝たきりの児玉誉士夫の臨床尋問をした。
児玉は屋根裏の隠れ部屋で寝たきりで、出入りは隠し階段。
病状が悪化していたので屋根裏部屋の暗い部屋で児玉誉士夫はふとんで寝たきりだった。
かつて黒幕・戦後最大のフィクサーと恐れられた男は病床でおびえていた。
児玉誉士夫は“第一次FX(F104戦闘機を日本に輸入する秘密代理人として)”名前が挙がっていた。“国士”とも呼ばれた児玉が何故暗躍したのか?“日本の再軍備が悲願”の児玉側と“トライスターや軍用機を日本政府に売りつけたい”ロッキード社の意向が合致した。
児玉はお金に転んだ訳ではない??
「……児玉誉士夫さんですね?」
「………はい。」
「東京地検の松田という検事です。あなたに所得隠し脱税や外為法違反の疑いがかけられています」
「そ……そうですか。」
「ロッキード社のコーチャン副会長はご存知ですね?」
「……はい。」
「お金をもらいましたか?あなたに不利な証言ですから黙秘でもいいのですよ?」
「……もらいました」
「それは…税務処理しましたか?」
「…いいえ。もらった金は…税務申告していません。……不覚です。」
もう畳敷きの布団に寝たきりで、弱弱しい声で話す児玉…
そこにはかつての黒幕・戦後最大のフィクサーのカリスマはなかった。
「署名できますか?あなたに不利な脱税容疑の署名ですが。」
「はい。します。……検事さん。児玉誉士夫の“よしお”の漢字が…思い出せません…。」
「いいですよ。ひらがなでもカタカナでも。」
「…はい。」
児玉はすべてを吐いた訳ではなかった。
署名もして脱税と外為法違反では在宅起訴できたが、肝心の21億円やP3C対潜哨戒機の導入を巡る証拠はとっくに隠滅していた。
秘書が燃やしたと認めた。
書類もハンコもすべて燃やしたという。
脱税や外為で起訴するのが検察にはやっとだった。
その間に国民は怒り狂い、右翼の男がセスナ機で児玉邸に特攻攻撃をして死亡するなど不安定な捜査態勢ではあった。たまり(脱税などで不正に集めた金融資産)もなかったが、病床の児玉が秘書に数億円分の証券の束を見させて認めた。
それで勘弁してくれ、ということだろう。
そんな中、丸紅ルートの中で大物政治家・前首相(当時)の田中角栄の名前があがったのだ。当時の三木武夫首相は大規模な資金力と数を誇る田中派とは一線をかくす、弱小派閥の出身で、クリーンさ、だけが売りであり、国民もはんば呆れて見ていた。
三木は「必ずロッキード事件を解決する。政府高官の全員の名前も公表する」と息巻いた。
マスコミは「三木はクリーンさ、だけが売りだからな」「おいおい。こんなことまでいって大丈夫なのか???」呆れまくっていた。
検察でも堀田力(つとむ)検事らがアメリカに飛び交渉したが日本では当時“司法取引”は認められていなかった。アメリカで出た資料は日本ではつかえない。
かといって、アメリカで罪に問われることを日本でロッキード社のコーチャンなどが証言する筈がない。嘱託尋問、しかない。にしても資料が少ない。
日本の検事二人が秘匿でアメリカまで行って資料をもらったがすぐにマスコミにばれた。
この“L資料”にもどこにもP3Cのことがない。見事に抜け落ちていた。
「試されているのか?」
「…国家ぐるみのクイズか?謀略の臭いがする。“TANAKA”?田中角栄か?」
児玉の通訳の福田太郎は病死する。
また重要参考人も次々と謎の自殺や病死する。
またしても検察の極秘情報は漏れて、「田中角栄」の名前が新聞に踊る。
「くそ、だからいったんだ!」吉永祐介は新聞を見て怒った。「やはり漏れた」
田中角栄は堂々とマスコミや国民に「このロッキード事件はかならず解決されなければならない事件だと私は思うのであります!必ずこの田中角栄が真相をあばいて、必ずやこの田中角栄が無罪であると国民にお約束をする覚悟であります!」と約束する。
だが、国民もマスコミもすでに大騒ぎだった。
「政府高官を死刑にしろ!名前を全部出せ!」「ロッキード事件の真相を全部晒せ!」「田中角栄は豚箱いきにしろ!」
まさに蜂の巣をつついたような騒ぎであり、集団ヒステリー、ともいえた。
まさに最近の集団ヒステリー「脱原発デモ」「戦争法案廃止デモ(戦争法案ではなく安保法案なのだが(笑))」に似ていた。賄賂の請託(せいたく、賄賂の証拠・賄賂をもらったもの渡したものの証言証拠)が必要であったがなかった。
マスコミは現政権の司法長官が『指揮権発動(罪をうやむやにして無罪とする命令)』をすると見ていた。造船疑獄の時も指揮権発動で当時の佐藤栄作首相が無罪となっている。
田中角栄にも指揮権発動されて、無罪になる、そういうことであった。
そういうことではないのが逆に意外だったことだろう。
そのなかでの『田中角栄前首相逮捕』はまさに国民による私刑(死刑)だった。
田中角栄逮捕は丸紅ルートからである。大久保利春の偽証罪での逮捕で大久保が口を割り、続いて逮捕された伊藤博専務が逮捕され尋問された結果、大久保は逮捕された檜山廣・丸紅社長のお供として1972年8月23日に目白の田中角栄邸を訪れ、檜山と角栄との密談のために退席した大久保が田中角栄に“トライスターの請託金(裁判ではトライスターの請託金とされるが実は”P3Cの請託金”ではなかったか?)“何にせよまさに闇である。
1976年7月27日の田中角栄逮捕はまさに請託金を(角栄側は政治献金と主張している)受け取った、という疑惑である。
角栄の弁護士をつとめた外山興三弁護士はいう。
外山「初めから角栄憎し、ロッキード社憎し、のシナリオで進んでいた。検察側の言い分は矛盾であり“検察側の小説”で被告人(角栄本人)は逮捕され、冤罪で被害をこうむった」角栄の娘の田中真紀子は「被告人の冤罪は明らかでまさに名誉棄損であり、被告人(角栄)はまさに冤罪です」という。
ロッキード事件での裁判は18年間にも及び、逮捕された関係者は18人以上にも及んだ。
「私は無罪である!コーチャンなど名前も知らない。陰謀である」。当時、角栄は身の潔白を主張したが、そのあとは沈黙を貫いた。
“田中角栄前首相逮捕!”まさに衝撃だった。
「田中角栄前首相逮捕です!逮捕です!前首相、逮捕です!」
裁判は異例の視聴率をたたき出した。異例の前首相の逮捕…児玉誉士夫や小佐野賢治やら日本の黒幕の名前が加味して疑獄をいっそうと深い闇とした。
「我々のやっていることはドブさらいだ。ドブをさらった後に、綺麗な水を流すか汚い水を流すかはそれこそ国民やマスコミや政治家や官僚がやることだ。検察がやったら“検察ファッショ”になる」
吉永祐介検事は言った。その吉永祐介元・検事も2013年に死亡している。
「田中さん、事件の真相は?」
「うんん。………まあこのお。知らんよ。……」
田中角栄やコーチャン、小佐野賢治、児玉誉士夫、檜山廣丸紅元・会長ら主要容疑者が死亡し、福田太郎ら容疑者も次々に謎の死や自殺や病死を遂げている。
まさに“深い闇”で、ある。
そしてここからはロッキード事件40年目の真実、スクープに迫ろうではないか。
1976年7月27日田中角栄前首相逮捕。首相の犯罪が初めて裁かれたロッキード事件。5億円をうけとったとされた。空前の角栄ブーム。しかし、田中の最大の汚点となったロッキード事件の闇はとざされたままだ。追及したジャーナリスト立花隆も遂に謎に迫れなかった。
ロッキード賄賂金、丸紅ルート(5億円)、児玉誉士夫ルート(21億円)、全日空ルート(2億円)。
本当はP3C(軍用機)の現代までの1兆円(現在まで日本の輸入は100機以上)の利権ではなかったのか?
当時、児玉誉士夫の臨床尋問をした松田昇元・検事「犯罪となるものはなにもない。脱税のみ。P3Cの資料はなかった」
松尾邦弘元・検事「立証できなければ21億円どころか全日空、丸紅、田中角栄までたどりつけない」
 アメリカ合衆国ジョージア州、ここにロッキード・マーティン社がある。
取材で訪れた。日本の自衛隊機や民間航空機もつくる巨大企業だ。
40年前、P3C(対潜哨戒機)の疑惑が挙がった。P3Cや民間旅客機の日本への交渉を一手にひきうけていたのが社長のアーチボルド・C・コーチャン(A・C・KOTCHIAN)である。
ロサンゼルス地方検察所でも日本や世界のマスコミに「ノーコメント」を貫き、すでにこの世を去っていた。白髪の眼鏡のいかにもインテリそうな大丈夫な老人であった。
吉永祐介元・検事が保管していた600点にも及ぶ極秘資料が存在して読んだ。
その資料にコーチャンがP3Cに関して語っていたことが明らかになった。
P3Cは事件にならなかったので証言が世にでないままだった。
コーチャン「児玉誉士夫の役割はP3C導入を日本政府高官に働きかけることだった。(700万ドル・21億円)。日本の大臣はすぐにかわるので特定の人物と仲良くなっても駄目である。児玉は次の通産大臣(現・経済産業大臣)に誰がなるのか教えてくれた。児玉は私の国務省(日本でいう外務省)だった。」
ロッキード社はベトナム戦争終結で経営が悪化し、P3Cや旅客機の売り込みに社運をかけていた。P3Cとは対潜哨戒機のことであり当時の米ソ冷戦下ではソ連の潜水艦を空上で探査発見できる軍用機である。当時のソ連の潜水艦は潜水を一か月も続けられる最先端なレーダーに映りにくいものだった。P3C対潜哨戒機には最新のコンピュータが搭載され米国の軍事の要だった。売り込みの最大の相手は日本だった。
日本では対潜哨戒機の国産化をしようと研究し莫大な研究資金をつかっていたが頓挫した。
大蔵省(現・財務省)の役人に言わせれば「(国産化での研究開発費用は)金がかかりすぎる」ということだった。
児玉誉士夫の闇ルートを介してある男に話をきいた。日吉修二(81歳、日吉は2016年7月11日死去。最後の証言となった)である。日吉は児玉の闇ルートの会社の役員をしていた。これまでロッキード事件を話す事はなかった日吉。
日吉「児玉邸への神風特攻の児玉を見たね。緊張したよ、これが天下の児玉誉士夫か、ってね。何か事を起こすには資金(力)がないと駄目だね、って僕にいうのよ。段ボール5箱分の資料を焼却するように指示された。今に思えばあれがロッキード事件の極秘資料だったのかなあ?と思うね。英文のものもあったしね。」
福田太郎(児玉誉士夫の通訳・事件中に病死)「ロッキード事件で児玉の名前がでると。ロッキードの社長のコーチャンに「児玉に謝っておいてくれ」と、いわれました。児玉が「それは話が違うじゃないか!私に迷惑をかけないといっていたではないか!」と怒りまして私が先生は「しらなかった」といえばいいといいました。」21億円の金の流れは今も闇の中。
堀田力(つとむ、82歳・2016年時)「まだP3Cでいろいろあるはずだが、うまくお金をかすめとる手段はわかっているが深い闇には遂に辿り着けなかった。深い闇に一本の細い光を射しただけなのがロッキード事件。深い闇があって、それ以上はたどりつけなかった。国民としては闇を照らしてくれという期待を裏切り、その点はやはり悔しいというか申し訳ない、というか。」
40年間沈黙を守ってきた人物が取材に応じた。
丸紅元・航空機課長・坂篁一(さか・こういち 87歳・2016年時)。
大久保利春の直属の部下で、ロッキード事件のコーチャン社長と直接交渉をするキーマンだった。坂は事件当時の事件関係者でも知らなかったある内容を口にした。
坂は逮捕された大久保利春の直属の部下で、丸紅の交渉人であった。
坂「丸紅ルートの5億円を提案したのは自分だった。政治献金を出させましょう、と。(1972年8月→トライスター購入?→10月全日空トライスター民間旅客機購入)」
しかし、坂は意外なことを口にした。
坂「全日空がトライスターを購入するのはもう決まっていた。最大のマター(問題)は、P3Cに関すること。それに力を注ぎましょう、と。当時、日本で対潜哨戒機の国産化計画が進んでいて、国産では丸紅は一円も儲からない。P3C導入輸入なら丸紅の利権(口銭・こうせん・口利き料)も大きい」
コーチャン証言「丸紅の大久保は「もし大きな取引をしたいなら5億円は基準レート(価格)だ」といった。日本は最大のマーケットで丸紅からの今後の輸入がだめになるといわれると大変だった。P3Cの売り込みの関係もあり、支払わざる得ないと考えた」
田中角栄の元・側近で大臣も歴任した石井一(81歳2016年時)。
石井は独自の情報ルートでロッキード事件と田中角栄の金脈を探ったという。
石井「田中さんが金をもらったとは考えにくい。なにか巨大な圧力がかかり、田中角栄がスケープゴート(いけにえの羊)になったのではないか?P3Cが本筋だったんじゃないかなあ」
相澤秀之元・大蔵省主計局長(97歳・2016年時)は語る。
相澤「田中さんは事業をしていましたでしょう?だから、何かやるときに財源やお金が大事なのだってちゃんとわかっていましたね。僕たち官僚の中でも田中角栄にお金をもらったひとなんていっぱいいますよ。政治家もいっぱい大金をもらっていた。そういうお金の魔力を知っていたひとですよ。まさに天才です。」
 P3Cの国産化(日本の国産機日本製対潜哨戒機はPXLという)が始まったのは1971年(対潜哨戒機の国産化計画開発)。
「日本独自で国産でまかなうべき。戦後の米軍基地も見直し」とは当時の中曽根康弘防衛庁長官(現・防衛省)。国は国産化に10億1千万の予算をつけていた。しかし、突如、白紙撤回。米国のロッキード社のP3C対潜哨戒機の輸入へと政策がかわった。
国産化計画にたずさわった海自元・航空機装備開発担当の中島又雄(91歳・2016年時)。
中島「国産化をすすめて何億も使って、国産化ならいつでも部品やメンテナンスができると国産化を重視していてそのほうが安心安全だった。だが、アメリカ政府から圧力があったようだね。」
当時、ニクソン政権下の国防長官だったメルビン・レアードは電話での取材に応じた。
防衛庁長官だった当時の中曽根康弘に圧力をかけた、と認めた。
レアード「日本はカネを出してアメリカの経済が潤い、かつ当時のソ連を威嚇してほしかったのです。日本にP3Cを導入することが、アメリカが懐を傷めずに対ソ連戦略をするために必要だったのです。もちろん儲かるのはアメリカですが(笑)」
ソ連の最新の潜水艦はレーダーに映りづらく一か月も海の底に潜水できた。アメリカは日本の対潜哨戒機の国産化をやめさせ、P3C導入を迫ったのだ。
田中角栄を動かし、彼のプロフィールなどの情報を得てプロファイル(人物分析)した。
当時の政府高官「田中角栄はものすごいバイタリティ(生命力)があって、日本語で言うと“したたか者”。権力やお金のつかいかたが凄い」
相澤「P3Cは国産化ではアメリカからの輸入のほうが安い。アメリカからP3Cを導入した方がはるかに安く済むというのが大蔵省の総意だった」
元・ニクソン政権の元・NSC国家安全保障会議の担当補佐官リチャード・アレンはいう。
アレン「日本は最大のお客さまだった。ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官が“P3C”を日本に売るべきだと命じたのだ」
ニクソンはロッキード社のあるカリフォルニア州出身。巨額の政治献金をもらっていた。1974年ハワイの日米首脳会談(田中角栄首相、ニクソン米国大統領)で売り込みに圧力がかかった。
P3CとE2C(早期警戒機・E2C自体は1979年のダグラス・グラマン事件において当時の日商岩井の専務・島田三敬・みつひろ・が取り調べで交渉して日本側に売りつけたことを自供したがそのすべてを話す前にビルから飛び降り自殺した)を日本に売りつけた、と。圧力があった。当時の駐日米国大使のホッジソンはいう。
ホッジソン「ロッキード事件はうまくいけば日本側の数人の逮捕者でおわるだろう。三木首相の言うような日本の政府高官名を出すのはできるだけ遅らせるのが得策である。もし、三木首相のいうように日本の政府高官名をだしてしまえば日米関係は泥沼化する。できるだけ高官名は出さずに引き延ばし、できれば高官名がでない方向性が米国や日本国のためである。」米国のロッキード社副会長コーチャン氏もロッキード社日本支社社長のクラッターも日本では尋問さえも受けてはいない。これで公平な裁判といえるのか??
ニクソンとキッシンジャーが、表向きは日本の原子力発電やアメリカ産の商品を買え、ということだったが裏では軍産複合体の利権のためにP3CとE2C導入を迫った。
ハワイ会談後、すぐにP3C国産化白紙撤回が何よりの証拠だ。
中島「角栄がハワイからもどってきたら途端に白紙撤回。これは宰相にしか出来ない。防衛庁長官くらいじゃ出来ない。アメリカ側から圧力があったんでしょう。」
1979年にはダグラス・グラマン事件が起こった。
東京地検特捜部は吉永祐介の指示で島田三敬(みつひろ・1979年ダグラス・グラマン事件で逮捕され尋問で日本政府へのE2C・早期警戒機の輸入の秘密交渉人・すべてを自白する前ビルから飛び降り自殺した)を捜査尋問に当たったのは宗像紀夫検事(当時・むなかたのりお)だった。
島田は宗像に「戦闘機や旅客機の利権で政治家に賄賂を渡した」と認めた。
宗像「戦闘機を購入すれば何百機と収入があるし、メンテナンスも毎年あるし、整備も次期の更新購入もある。ものすごい大金になる。要するにどんなフィー(費用)を払っても入れたい(輸入)、と。いろんなひとをつかってね」
1972年にも島田は働きかけて、ワイロを政治家にわたしたという。
裏金は個人金融資産で。田中角栄の名前もあったが島田は「明日、すべてを話します」といったその深夜、島田はビルから飛び降りて自殺した。
遺書“行くのを御許し下さい 一月三十一日 島田三敬”
裏金が当たり前のような政治家や財界人や官僚へのうらみ節が書いてあったという。
宗像「悪かった。亡くなられた島田さんもお気の毒だったし、吉永祐介さんにも申し訳ないと。期待に応えられず事件の真相も島田さんの死で闇の中…」
元・首相の海部俊樹(かいふ・としき、三木内閣で副官房長官)
海部「三木さんの指示で事件を追及していましたが、政治家のひとたちから反発されたよね。そこまでやらなくてもいいんじゃないか?という声が多かった。心配しておれのところに飛んできて、俊ちゃん、おやじさん(三木首相)にもうやめたらいいんじゃないか、と。外国の資料をもらって国内の悪(ワル)を見せる必要はないよ。(捜査を止める)指揮権を発動すればいいんだよ、ということでおわりじゃないか、それをやれ、と。こうくるわけだ」
三木首相も当時は独自に調査していたが闇に迫れず…
すぐに“三木おろし”が来るが、ロッキード事件の影響で権力基盤の弱い三木武夫首相は国民にげいごうした。
海部「事件が解明できないのは残念。しかし、軍用機ともなると我々の手のおよばないところだから。ね?」
P3Cの現在までのロッキード社の売り上げは1977年から日本だけで1兆円を超える。田中角栄はスケープゴート(いけにえの羊)にされたのだ。無罪ではないだろうが軍産複合体に利用され、捨てられた。それが田中角栄逮捕、であった。
今も、日本国はアメリカに次ぐ世界第二位のP3C保有国である。
リチャード・アレン「田中角栄は日本でいう“したたか者”でタフガイだった。日本の金で米国の懐を満たし利用するのが目的だった」
坂篁一は最後にある文字を送ってきた。
“魑魅魍魎(ちみもうりょう)=おばけ”
坂「おばけにはおばけのお菓子や食べ物がある。おばけは見えない。みんなは契約を決まった万歳!っていうけど本当は決まりかけが一番大事なの。決まったらもう後戻りできないのだからね。」
ロッキード事件から40年、あの田中角栄逮捕の熱狂にかき消された本当の真実とは何だったのか。最新スクープがこれである。
今、空前の角栄ブームの中、我々はこの真実を重く受け止めなければならない。

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