長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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【祝日勤労感謝の日記念】真田丸<大坂夏の陣>先行投稿幸村VS徳川家康!!

2016年11月23日 15時31分49秒 | 日記





























         大坂夏の陣






  慶長二十年(一六十五年)夏、大坂夏の陣の幕がきっておとされた。しかし、大坂城は堀をうめられて丸裸……攻略も容易だった。大坂方はわずかな浪人たちだけで、家康方は全国の大名軍を率きつれている。どちらが勝つのは馬鹿ではもわかることだ。
 そんな中、真田幸村だけは善戦し、単独で家康の本陣まで迫って、もう少しで家康を殺すところまでいった。しかし、それは失敗し、幸村は討ち死にする。
豊臣秀頼は正室で家康の孫娘・千姫を愛していた。二人の間に子供こそなかったが、秀頼は千姫を大事に扱ったという。落城・敗北ではふたりは抱き合った。抱擁である。
千姫は義母の淀君と夫の秀頼とともに一緒に自害しようと思っていた。
「義母上さま!千もお供いたしまする!」千姫はいった。短刀をかかげる。
だが、淀君や秀頼が「ならん!徳川方に逃げのびよ」という。
「幸村!千姫を頼んだぞ!」
「はっ!この幸村、千姫さまを御救い致した後にすぐに冥途へ。後を追いまする」
「あの世でまっておるぞ、幸村!」
「はっ!しばしのお別れにございまする!」
「しかし、千は…千は…義母上!秀頼さま!」千姫は号泣した。
「さらばじゃ、千!」淀君と秀頼は場を去った。
幸村は千姫を大坂城の井戸の中にひとり隠した。「戦がおわったら直江が。」
大坂夏の陣の後、井戸の中の千姫を助けたのは直江兼続だった。
「千姫さまー!上杉家執政、直江山城でござる!」深い井戸の底に叫んだ。
千姫は救われた。薄汚れた千姫が救出されると秀忠や家康は大喜びしたという。
だが、千姫は「直江山城が助けてくれました。…千はおじじさま(家康のこと)を一生許しませぬ!」などという。家康は「な?…千!どうしたのじゃ?どうしたのじゃ?」
徳川家康は狼狽した。話を戻す。
 大坂城を家康は包囲した。何十万という軍勢で、大坂城をかこんだ。やがて大坂城は炎上し、陥落する。
 早朝、秀頼と淀殿は城の外側の蔵にいた。家康はそこも囲った。
「……秀頼殿、このおろかな母を許してくだされ」淀君は泣き崩れた。蔵の中にはふたりと家臣わずかしかいなかった。蔵の窓から朝日がうっすらと差し込んでくる。
「母上……この秀頼、太閤殿下の子として……立派に自害してみせましょうぞ」
 家康は蔵の前で、「蔵に鉄砲を撃ちかけよ!」と兵に命じた。鉄砲が撃たれると、秀頼と淀殿は、蔵にあった火薬に火をつけ、爆発がおこった。
 こうして秀頼と淀殿は死んだ。家康は「たわけ! なぜ死んだ?!」と驚愕の演技をした。「わしは秀頼殿と淀殿を助けようと思うてたのに…」
 秀忠はその演技を見抜けず「なんということだ…」と落胆した。
  しかし、家康はどこまでも狸だった。秀頼には側についていた女子との間に三歳の娘と七歳の男子がいたという。家康はその子らを処分した。つまり、殺した。豊臣家を根絶やしにするためである。落ち武者も虐殺した。何千人も殺した。まるで信長のように。ジェノサイドだ。しかし、これは治安対策と、やはり豊臣家を根絶やしにするためであった。  家康はそのあと、尼となっていた秀吉の妻・高台院(寧々)と寺ではなした。
「もう世は徳川の時代……豊臣家はもうありません」高台院はいった。なぜか、冷静で丁寧な態度であった。
 家康は「高台院さま、この家康、天下太平のため、徳川幕府を開き、平和な世の中をつくりたく思いまする」と丁寧にいった。
「それはよきことです」高台院はいい、続けて「これからは無益な戦がない世の中に……なるのですね?」
「さようにござる、もう戦などなくなりもうす」
 家康は微笑んだ。すべて……おわったのだ。
 その顔は恍惚のものであり、登りつめたひとの顔であった。

話を戻す。
「徳川だの豊臣だのといってばかりでは天下は治められない。今の豊臣には誰もついてはこない。豊臣恩顧だの世迷い言じゃ。現に豊臣恩顧の大名衆はすべて徳川方。そのような豊臣にしてしまった。されど豊臣は百万石から六十五万石になっても一大名でも豊臣が残るならよいではありませんか?滅ぶよりマシです」
高台院(寧々)はいうが、秀頼や淀君は反発した。
「自分には子供がいないからと!あなたさまをこれ限り豊臣のひとだとは思いません!」
「この秀頼、豊臣秀吉の御曹司として徳川と戦いまする!」
……確かに、例え一大名になっても……とは子供がいないからかも知れぬ。
高台院の停戦工作は失敗した。
高台院は淀君と秀頼が籠城した大坂城が炎上している炎を遠くからみる。
涙を流し合掌し黙祷した。真夜中なのに煌煌と明るい炎の明かり……
「お前様。許して下され。私の力がおよばずとうとう豊臣がこんなことに……」
すると秀吉の亡霊が言った。
「おかか!これでええではないがじゃでえ。豊臣は一代でも役を果たした。それでええ。天下を徳川に渡した。おかかの役目もおわったのじゃ。おかか、ごくろうじゃった!」
「お前様………。」
「わしのおかかになり苦労させたのう」
「いいえ。……わたしはお前様のおかかになったこと後悔はありません。またお前様の女房になりとうございまする。できれば戦のない世で……」
「はははは。まっておるぞ、おかか」
亡霊は消えた。
「…お前様。?」
高台院(寧々)は再び涙を流し合掌した。「お前さま。……豊臣はお前様と私だけのものでした。」
高台院(寧々)は再び合掌して涙し、やがて、その場を歩き去った。
豊臣家の滅亡……そして永遠の豊臣…。すべては夢の中。夢の又夢。
こうして寧々の物語は、おわった。


  家康は厠で倒れた。
 すぐに寝室に運び込まれた。家康は虫の息だった。老衰だった。
 床についているあいだ、家康の血管を、思い出が洪水のように駆けめぐった。信長のこと、秀吉のこと、そうしたものではなく、じっさいの出来事ではなく、感情……遠い昔に失ってしまった思い出だった。涙があとからあとから溢れ出た。
 家臣たちは口をひらき、何もいわずまた閉じた。世界の終りがきたときに何がいえるだろう。心臓がかちかちの石になり垂れ下がると同時に、全身の血管が氷のようになるのを家臣たちは感じた。すべておわりだ。家康公がとうとう死んでしまう。
「わしが……死んだら…日光に東照宮をつくり、わしの亡骸を葬ってくれ…」
 家康はあえぎあえぎだがいった。
「…と、殿!」家臣たちは泣き崩れた。
「わしは…」家康はあえぎあえぎ続けた。「……勝利…したのだろか?」
 空が暗くなり、明るくなり、世界がひっくりかえった。家康が七十五年間抱きつづけた感情が胸から溢れ出て、麻痺した指先を伝って座敷の畳みに零れ落ちた。
 そして、家康は死んだ。
 元和二年(一六一六年)四月十九日、家康死去、享年七十五歳で、あった。

 ……ひとの一生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し、焦るべからず……

  家康の格言で、ある。
 こうして、家康の策により徳川政権は二百六十年続いた。
 家康の知恵の策略の勝利、であった。                

またこの後の話は真田幸村として名高い真田信繁(本名)の最期の徳川との大戦となった『大坂夏の陣』ののちのちの戦話を漫画・劇画『紅蓮の花 真田幸村』上下巻、著者・(漫画)竹谷州史氏・(原作)仲路さとる氏・新潮社出版から引用したい。あくまで引用であり、盗作、無断転用、無断引用ではありません。裁判とか損害賠償とかやめてください。
 
 大坂冬の陣で大坂城は外堀どころか内堀まで埋め立てられ、天下に名高い難攻不落の大坂城は、徳川家康の謀略により裸城になりいよいよもって「豊臣家滅亡」「大坂壊滅」が現実になりそうだった。大坂の町人や商人や百姓衆も「今度ばかりは大坂もおしまいや!」「ひいいい~つ!お助け!」幕府軍数十五万の大軍が大坂の町に着々と進軍、明日にも大坂は戦火の海に沈む。「民百姓さえ豊臣の敗北を悟っています」大坂の寿司の屋台で、間者が町人に化けて、ある武将にいう。「我が主・幕府軍総大将徳川家康公は故国信濃一国にてあなたを買い受けると仰せです。これ以上は無意味、どうぞ幕府方にお越しください」
「お断りだ。狸にもらった国なんぞ、翌日木の葉に変わるかもしれん」そういったのは大坂方浪人・真田幸村である。「狸殿に伝えろ!俺はあんたにもらう国よりもこの上方の旨い寿司のほうがいい、と」
「真田殿……わが徳川幕府軍は十五万、大坂方はせいぜい寄せ集めの七万から八万でしょう?どちらが勝つかは馬鹿でもわかること。しかも、難攻不落といわれた大坂城もいまや裸城、死ぬだけですぞ」
「おおかたわしの首が縦にふらねば斬って帰れの命だろう?」幸村は鼻で笑った。「欲しいと言ったり殺せと言ったりご苦労なことだ」
「どうあってもお心かわりは………」
「ない」
「だが……死にまするぞ」
「死の際に燃える紅蓮の炎もある。胸が高鳴らないか……?狸を殺るにはよい日和だ」
 一方、徳川数十万を迎え撃つ覚悟の豊臣の大坂城には豊臣家重臣・大野治長が、
「こんな時に浪人衆は何をしておる!」と苛立っていた。参謀方の真田は幕府方の兄と内通の噂があり、幕府に寝返るのでは?というのだ。秀吉の遺児・豊臣秀頼は「大野…まあ、待とう。かの者らは皆、名に聞こえたいくさ人、それなりの戦支度があるのじゃろう」
「秀頼さま……」
 大坂方はもうみんな死を覚悟している。だが、死に場所を求めて大坂浪人衆の毛利勝永(もうり・かつなが)、大坂浪人・後藤又兵衛(ごとう・またべい)、大坂浪人・薄田兼相(すすきだ・かねすけ)、豊臣家家臣・木村重成(きむら・しげなり)、大坂浪人・明石全登(あかし・たけのり)、大坂浪人・元・四国の大名・長宗我部盛親(ちょうそかべ・もりちか)らが集まった。これに遅れて参陣した大坂浪人・真田幸村を加えこれらが『大坂夏の陣大坂浪人・七人衆』という。1615年5月、江戸幕府初代将軍徳川家康は全国の軍勢を率い大坂城へ出撃!その数実に15万……。豊臣方の寄せ集めの浪人衆約8万をはるかに超える精鋭である。前年の冬の陣からわずか半年、それはまさに家康の宿願・天下安寧・徳川の天下、豊臣抹殺への峻烈な表明であった。
「斥候(せっこう)から得た情報によると京より発した幕府軍は二手に別れ南下中。明日にもこの大坂城は15万もの軍勢に取り囲まれます」
毛利勝永は地図をみていった。
薄田は「これじゃあ、まさに風前の灯火ってやつだ」と笑った。
「河内方面の徳川秀忠隊は12万人、いかに秀忠が戦下手とはいえこれをまともに相手にするのは無謀だな」
「しかし、大和方面の徳川家康隊はわずか三万人!これはまさに千載一遇の好機!」
「幕府の総大将は家康!この首をとれば敵軍は瓦解し、戦局優位です!」
「これだから戦を知らぬ青二才は……お主はこれが家康の罠とわからんのか?!」
長宗我部はいった。「確かに大和方面軍はわずか3万……しかしこの陣には戦の天才・奥州の伊逹政宗が従軍しておる!」
「なにい?あの今孔明独眼竜伊逹政宗が!?」
一同は重い空気に押しつぶされそうになる。秀頼は「どちらを選んでも地獄というわけか……」とがくりとする。重い沈黙。すると、
「いけませんなあ!明日が戦というときにまるでお通夜ではありませんか!」と真田幸村が来た。「幸村!」「幸村殿!」一同に活気が戻った。「なにせ敵は齢七十にて今生にすがる古狸だ!あの家康より強いやつらのやり方をすればいい!織田信長公、太閤殿下(豊臣秀吉公)、御屋形さま(武田信玄公)、上杉謙信公、毛利元就公……この戦、大坂方の桶狭間である!つまりは奇襲!周りの大軍勢には目もくれず京より大坂に向かう家康隊の側面を一挙に奇襲する!敵方はこの戦で城を落とし……秀頼殿を討たねばならぬ。だが、こちらは家康の首さえ取れば再び豊臣家が天下人になれる!目標は凡人狸爺家康の首のみ!」
皆の顔に血の気が戻ってきた。「恐れるものは何もない。俺たちは死人の軍勢なのだから」
一同は、不敵に笑い始める。これは……もしかすると勝てるかも……
大和方面隊は後藤又兵衛と薄田兼相!河内別働隊は長宗我部盛親と木村重成、主力部隊・毛利勝永、明石全登と真田幸村は先発隊に続き大和方面へ!
一六一五年五月五日、大坂夏の陣の大坂七人衆が出撃する。大坂方は浪人たちの寄せ集めではあるが、家康に主君を殺された恨みがあり、士気は高い。徳川家康は齢七十にして重臣の本多正純に「かような殿は初めてじゃ……あれではもはや…天下に妄執する餓鬼!」といわれるほど天下を喜んだ。もはや誰も敵ではない。
 信長も秀吉も信玄も謙信も今川も毛利もない。わしの……天下じゃ!もはや豊臣家もおわりじゃ!家康は若かりし頃の『三方ヶ原の役』での武田信玄との戦いで惨敗し、馬上で糞尿まみれになったまま馬で逃げた悪夢を思い出した。自分には武田信玄や上杉謙信、毛利元就、織田信長、豊臣秀吉、真田幸村、竹中半兵衛、黒田如水(官兵衛)やらのような天才がないことは家康が自分自身でよくわかっていた。だからこそ誰よりも耐えた、誰よりも待った。信玄と謙信が準備し、織田がつき、羽柴がこねし天下餅、骨もおらずに食うは徳川………それがどうした!何が悪い!最後に勝ったものが勝者じゃろうが!
 だが、家康だって馬鹿ではない。大坂攻めでわずか3万あまりだけの大和方面隊にはいかに天下無双の独眼竜伊逹政宗軍がいようとも危ない。家康は、大和方面隊に影武者をたて、自分は隠れて河内方面隊の息子・秀忠軍十二万の中に紛れた。
家康は「桶狭間のような奇襲も敵方に真田幸村がいるなら有り得る」と慎重だった。
と、同時にこれで天下人に、歴史に天下の徳川家康の名前が刻まれることを興奮せざる得ない様子であった。
初戦の朝は深い濃霧で大坂方の脚はすすまない。
「大坂方め、運にも見放されたか」家康は笑いがとまらない。しかも、大坂方は大和方面を奇襲しようという行動であるので、ますます徳川有利である。大和方面の先鋒・後藤又兵衛隊は獅子奮迅の戦いをしたが何せ多勢に武勢である。何倍もの敵を倒せる訳もない。しかも、「大和方面の家康は影武者じゃ!」との情報で、もはやこれまでと高をくくった。
五月六日、緒戦は家康に軍配があがった。影武の首をとっても意味はない。後藤隊は残った兵士三百のうち二百を後続隊に残し、自分と百余りの兵で、小松山で幕府軍とやりあった。さすがは豪傑で知られる後藤又兵衛隊だが、所詮は多勢に武勢、後藤はまるで牛若丸を守る弁慶の如く、伊逹政宗隊と片倉小十郎(二代目)により戦死させられた。後続隊の薄田兼相隊も見事な最期であったという。一方の河内方面のほうが十二万兵であるから、こちらこそ敵は多勢に武勢、木村重成が戦死、長宗我部は一旦、大坂城に退いた。
後藤基次(又兵衛)は押し寄せる大軍に果敢に挑んだという。
後藤は押し寄せる黒田長政勢を長槍で蹴散らす。「かかれーっ!突撃―っ!」
軍勢は黒田勢有利なるも、さすがは武勇で知れた後藤基次である。長槍で何万騎もの軍勢を震え上がらせる。小松山後藤軍三千VS敵・幕府黒田長政軍三万兵……
「やあっ!どううっ!」後藤基次の長槍で、次々に兵士が殺られていく。
………ひいいいっ!逃げろ!ばけものだーっ!
「逃げるなーっ!黒田武士の恐ろしさを思い知らせよー!」
そう叫ぶ黒田長政も心理は戦々恐々としている。「こちらは多勢に武勢じゃぞ!黒田の名に泥を塗るな!突撃―っ!」
やがて、後藤基次の左肩に銃弾が当たる。
後藤基次の巨体が崩れた。と、同時に銃弾が数発…後藤基次の胸や腹に当たる。
「ぐっ!………負けぬぞ、長政!秀頼殿、おさらばで…御座る…!」
血を吐きながら、後藤基次は最期の力で長槍をぶん投げた。
その槍は馬上の黒田長政の左肩に突き刺さった。「ぐあああっ!」
焼肉の鉄板みたいな鎧兜の黒田長政は馬上から落下してもだえた。
………ぐあああっ!ひいいいいっ!又兵衛め、又兵衛めーっ!
その姿をみた後藤基次は最期の奉公をおえたとばかりに人生の最期を迎える。
黒田勢の一斉射撃に蜂の巣にされた後藤基次は「…殿!申し…訳………御座らん。殿!」
と、叫ぶと巨体は血だらけで地面へと崩れた。そして死んだ。
享年六十歳………天才軍師・後藤基次の魂は竜の如く、天昇した。
「後藤殿! 後藤殿はおられぬか??!!」
数時間後、薄田隼人は少数精鋭軍と化して、霧が晴れた後、徳川軍勢に突撃した。
「?!!」隼人は後藤の死骸を発見する。
「貴様らーっ!よくも後藤殿を!!!」
さすがは豪遊磊落の薄田隼人。敵勢を踏み散らすように大量殺戮していく。
「皆殺しにしろーっ!後藤殿の仇を討てーっ!豊臣家の為に敵を蹴散らせ!」
そんな薄田兼相も銃撃で蜂の巣にされる。
なおも槍で敵将の首を斬りかかる。「ばけものめ!首をとれーっ!」
「…負けぬ!……負けぬぞーっ!家康―っ!秀頼さまーっ!」
「ばけもの!死ねーっ!」
「ぐあああっ!」
薄田の首は落ちた。
徳川勢の長槍で斬首されたのだ。「殿―っ!」家臣たちも徳川勢に銃殺されていく。
多勢に武勢、だ。薄田兼相は、こうして戦死した。魂は竜の如く後藤基次の元へ昇天する。
 明石全登隊は行方不明に、真田幸村には十代の息子・真田大助がいたが真田幸村が「大助よ、大坂方の秀頼さまにご出陣の下知をいただきに戻れ!」という。「しかし…父上!」
「これは命令じゃ!大坂城にて秀頼さまを守り秀頼さまとともに生きよ!」
真田大助は涙をはらはら流しながら「はっ!」といい、騎馬で大坂城に戻っていった。
五月六日の夜、真田幸村、毛利勝永、長宗我部らは戦線を退いて、大坂城にほど近い天王寺に集結、最後の軍議を開く。城の防備は無に等しく、大坂方は一か八かの翌日の夜戦に望みを託す他になかった。それは事実上の背水の陣…………
家康は愉悦の絶頂にあった。七十年の生涯求め続けた完全な天下が目前なのである。
「散々わしを見下した豊臣が、明日!滅ぶ!わははは、あの世で歯噛みするがいい!秀吉め!」
「家康さま!まだ戦は明日も…」
「ふははは!笑止千万!死にぞこないの浪人と餓鬼に何ができる?!明日、わしはすべての武士の頂点に立つ!すべての!」
 翌日、その死にぞこないの真田幸村・毛利勝永部隊は正面から突破しようと騎馬軍団で突撃しようと全速力で迫った。慶長二十年(一六一七)五月七日、もはや戦はおわりじゃ、と鎧や具足を脱いだ家康の前に真田幸村が迫るのである。
最初に立ちふさがるのは幕府先鋒越前大名・松平忠直軍隊(家康の次男・秀康の息子)である。「もはや多勢に武勢!大坂方の大将の首をとれば恩賞は思いのままだぞ!」
「進め!立ち止まるな!家康の首以外は目もくれるな!」兜に鹿の角の紅蓮の炎、真田隊が突っ走ってくる。
そこに間者が「う、裏切りだ―!紀州の浅野長晟(ながあきら)が大坂に寝返った!」
「我らの背後に迫っているぞー!」とやる。「ひいいいつ!」「にげろー!」浅野長晟はこの時4万の大軍を率いていた。長晟の父・長政は豊臣五奉行のひとりであり、裏切りの情報に信憑性があった。無論、幸村が放った内偵による流言である。だが、これにより越前兵は統率を失い、もはや幸村の敵ではない。
 また幸村は自分の影武者を何人もいろいろな場所に出現させる手にも出た。
駆ける!駆ける幸村!紅蓮の炎のような部隊が家康本陣に迫ってくる。
「ひいいいいいっ!何じゃ!わしは誰と戦っておるのじゃ?!」
「家康さまお逃げくだされ!」
「ひいいいいぃぃっ!」
やがて徳川の幔幕が切り裂かれ馬上から真田幸村が斬り込む。
「家康!覚悟!その首を血でかざれー!」
だが、家康は馬で逃げた。失禁しながらも信玄から逃げた三方が原のときのように遁走した。逃げても、逃げても幸村が追ってくる。「家康―!家康―!」
「ひいいいっ!誰かたすけてー!ひいいいつ!」


*****続く(刊行本または電子書籍に続く)続く*****

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