長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

郵政民営化の正体

2011年01月16日 12時04分50秒 | 日記

  
      郵政民営化の正体 
  
 郵政民営化から数年である。郵便事業は赤字で、ゆうちょかんぽで穴埋めしている状態です。小泉首相(当時)が郵便事業はユニバーサルサービスで、局はまったく減らしません。と公約しました。亀井静香担当相は郵政会社の「出資比率」を見送る慎重姿勢です。民間の懸念が強かったからですね。「ゆうパック」の大量遅配はペリカン便からの引継ぎのシステムがうまくいかなかったといわれています。ゆうちょの預け入れ額を1000万円から2000万円に簡易保険は2500万円にしようとしますね。これは大変な民業圧迫です。なぜならペイオフの上限は1000万円までで郵政会社は政府のガバナンスが効いている訳だから個人金融資産1600兆円のほとんどはゆうちゅに流れる。が、問題なのは20万人を正社員にすることです。これには6000億円必要とされ、今までは郵便局の正社員がアルバイトや派遣社員を顎で遣ってきたので非正規社員が奮起していた訳です。それが、一生身分を保証される正社員になったら誰も真面目に働かない可能性があります。郵政民営化の象徴だった部署ごとの「仕切りの壁」が亀井郵政担当相の命令で外されました。09年12月4日に郵政株式売却凍結法案が可決しましたね。郵政会社はかんぽ保険、ゆうちょ銀行、日本郵政の3事業体制になります。これはゆうちょ銀行とかんぽ保険の300兆円をまた「財政投融資」として遣いたいという裏が見え見えですね。例えばドイツやニュージーランドは郵政民営化をやったが10年で国有化されました。だが、西川氏(09年10月20日に辞任表明。民主党は郵政事業見直しで、郵便、銀行、保険に分けるという)がやめる必要はなかったと思います。なぜなら「小沢辞めろ」みたいなものですからです。西川氏は成果を上げていました。「かんぽの宿」や「年金制度」など
はかつての郵政省の後の「遺産」なんです。西川氏は249社の天下りを廃止していました。だから役人に恨まれていた。また族議員は財政投融資(郵便貯金と簡易保険金)を狙っているだけなんです。民主党は西川さんを辞めさせた。郵政会社の次期社長には元・大蔵省事務次官の斎藤次郎氏(73)に決まりましたね。新体制発足がして「郵政民営化見直し」だそうです。郵便局でパスポートが申請できる政策(2010年に法案化)はいいと思う。斎藤次郎氏は小沢氏の息のかかった元・官僚です。1993年から1995年の2年間大蔵省事務次官を務めて、「10年に一度の大物事務次官」と言われた。事務次官の際何をしたか?というと小沢一郎とつるんで「国民福祉税」を打ち上げてこれにより新生党(当時)は潰れた訳です。小沢一郎の人事ですね。斎藤次郎氏と小沢一郎氏とは刎頸の友として有名ですから。だが、この人事は筋が通っていないのである。何故なら民主党は日銀総裁人事で元・財務次官の武藤氏の
就任を「天下り反対」の名目で反対していたからです。鳩山由紀夫さんは知らない人事だったそうですよ。亀井静香氏は西川郵政グループ社長を含めゆうちょ銀行、かんぽ生命取締役の辞任を勧告してました。戦略的でなかったでしょうか。郵貯簡保では4227億円の経常黒字です。だが確かに収益力があやぶまれているJPエクスプレスは200億円の赤字の見込みです。GDP(国内総生産)は6月から7月は3から40プラスよりは低い。底を打ったのは事実です。何故かは中国が持ち直したからと100兆円も遣ったからです。小沢一郎前代表の次は鳩山代表の政治献金虚偽記載問題が露呈しましたね。しかし橋下や東国原らにタレント知事から操られる政治家ってどうかと思う。タレント知事はテレビでお馴染みですが中身がありません。顔だけ変えても無駄です。また総務大臣のやる仕事は官僚の膿を出すことですよ。郵政利権を「国民の財産」を守ることです。西川氏が辞任した後釜は元・官僚です。郵便局は減っていません。民営化され
て閉鎖されたのは一局です。だが、確かに郵便料金は外国のほうが安いです。イメージダウンだから辞めろ、では「小沢辞めろ」みたいなものです。誰かが「お前気になる嫌なやつだ!」と急に歩いていて変な輩が殴ったので「何をするんだ!」という。で、「喧嘩両成敗」などというみたいなものです。西川氏は辞める必要はありません。むしろ郵政民営化の旗振り役をまだまだこれからいろいろ頑張るべきでした。民主党は結局、郵貯の360兆円を「財政投融資」として復活させたいだけです。おそらく、郵貯の50兆円から60兆円ほど国債を購入するのではないかと思います。これでは「民営化」どころか「国営化」です。民主党は時代錯誤の暴挙をしていることがわからないのでしょうか?「かんぽの宿」の件は前述した通り「過去の遺産」なんです。4600億円かけて108億円にしかならない。というけど「かんぽの宿」「グリンピア」はバルクで従業員付きなら専門家に言わせると108億円でも高いそうですよ。郵貯のみならず日本の銀行ももっぱら国債
を買っているだけです。おそらく国の資本が入ってしまった為に融資先を探す手間暇や苦労を先送りしているのです。民主党政権は間違いない愚策で「国家戦略」を誤ってます。最悪の国(完全無欠の社会主義)を作りあげようとしています。間抜けなのは民主党政権も国民もそのシリアスな問題点をわからないことです。一刻も早く正しい方向に舵を取ってもらいたい。駄目なら自民党公明党に頑張ってもらいたい。民主党政権は明らかに間違っています。経済外交は特にです。 また政府は「景気は底打ちだ」という。また経団連の御手洗(みたらい)富士夫会長(キャノン会長)も「3月くらいで底を打ったと思っている」と強気です。まあ、GMが破綻してリーマンショックから「もうこれ以上はないだろう」と一段落着いた感じです。が、家計や地方経済的にはまだ「改善の見通しなし」です。結局は米国や中国相手の輸出頼みになりそうです。が、「世界的な経済回復は期待できません」としか言えません。輸出と経済対策の効果が息切
れすれば底打ちした景気も冬には二番底打ちもあると思ってください。W字回復します。小泉竹中構造改革で格差社会や弱肉強食社会が出来た訳ではありません。格差社会はグローバルスタンダードです。小泉竹中構造改革のときは格差(年収200万円以下が1000万人)は緩やかにストップしています。郵貯の200兆円は民営化前には「財政投融資」で伏魔殿ででたらめに使われていました。民営化後は金融市場に流れず国債買いです。郵政会社は本当は投資したいんです。また「同一労働同一賃金」など馬鹿です。社会主義ではありません。格差はあるに決まっています。頑張ったひとがペイしない社会など馬鹿な国です。例えばフィンランドやオランダでは確かに派遣社員はいません。が、それは正社員をいくらでも首を切れて、転職先もあります。そういうシステムを作ることもしないで「派遣禁止」「同一賃金同一労働」など無理じゃないか?わからないですが、転職先もないのは確かに問題です。外需に依存してきたのは08年から09年からで
すよ。03年から05年までの小泉竹中構造改革では内需のほうが高かったそうですよ。内需外需は切り離すべきではありません。「大きな政府」か「小さな政府」か?これは意見が分かれる問題です。企業に政府資産を投入するのは邪道です。マーケットエコノミーがわからないのですか?経済回復には競争原理を守るべきです。このままなら消費税27%ですよ。日本を重税国家にしないことです。官僚依存なら明らかに消費税27%です。 大事なのは消費フローと金融フローの改善なんです。それは詳しくは別の記事に書いています。ご参照してください。  
  
  
  
  

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルバチョフxゴルバチョフ。新生ロシア革命の真実。連載小説10

2011年01月16日 09時25分54秒 | 日記
10



 リーベルマンは彼と話したいと思ったが、そんな雰囲気では全然なかった。
  追悼式典でも、ゴルバチョフは一言もしゃべらなかった。多くの人々は涙を流していた。                                      「スターリンの死を一日でも遅らせることができるなら、私は体中の血を、一滴、一滴、全部捧げることを厭わなかったでしょう」代表者がそう悲しみの言葉を述べた。それは、ほとんどの学生もおなじ気持ちだった。なんたって、スターリンを神として崇めていたのだから。
 神の葬儀の日、ゴルバチョフとムリナールは寄宿舎の窓から外を眺めていた。
「ミーシャ、ぼくたちは一体どうなるのだろう?」
 ムリーナルはひどく落ち込んだまま、尋ねた。ゴルバチョフは地平線の向こうを見つめるような、風に飛ばされそうな、はかない目をした。ムリーナルがいままでみたこともないくらい、ゾッとするような凍った表情だった。
「………」
 ムリーナルはただ不安になって、気が遠くなりそうな長い間、一歩も動けずに立ちつくしていた。



  




第二章 J・F・ケネデイ

              フルシチョフ

              「冷戦の時代」


        ケネディ・フルシチョフ会談とベルリンの壁

  ショックから立ちなおったモスクワの市民たちは、スターリンがいなくても大丈夫だし、むしろ、死んでくれてよかった、と感じるようになった。未来が少しだけ明るくなったのだ。国を改革しようとする動きもあらわれだした。
 労働キャンプから人々が解放されて戻ってきた。                  いままでのシステムは間違いであることを人々は感じ始めていた。そして、冷たい戦争がいつか熱い戦争に変わるだろうということも。                   すべてはアメリカのせいだ。いま(50年代)、原爆をもっているのはアメリカだけなのだから!と、すべてのソ連国民は、かつての、ダレスに牛耳られた「アメリカ帝国主義」に憎悪と恐怖の念を感じていたに違いない。                     たしかにこの時期、アメリカに帝国主義的野心とパワーがあった。だが、現在のアメリカには、もはやそんなものはない。だが、冷戦時代の徹底した反米教育のために「アメリカ帝国主義」などという妄想が、いまだに肌にしみついて離れない…というソ連人が以外に多いのも事実である。
「新しい時代を背負って立つのは自分たちなんだ」と、モスクワの大学生たちは意気込みが広がっていた。腐敗したブルジュア民主主義国家からソビエトを守るのは自分たちなんだ、と。それはもちろん、ゴルバチョフも同じだった。
 だが、思わぬところで野心家ゴルバチョフは、挫折を味わうことになる。卒業後、彼が就職願いを出しに検察局にいったとき、どうも対応が冷たかった。
「スタブロポリ出身なら、故郷に帰った方がいいんじゃないかい?」
 検察官はそっけなくいった。
 それで、終りだった。「スタブロポリに帰れ!」というのだ。これは、彼にとってかなりのショックだったに違いない。それはそうだ。いままでの苦労が、無駄になってしまったのだから。せっかく中央で政治的なキャリアを積もうとして努力したのに、すべてが無駄になってしまったのだ。しかも、抗議するわけにもいかない。もともと当局は配偶理由など説明しないからだ。

「人民の敵となった祖父のことを…知られてしまったのだろうか」ミハイル・ゴルバチョフは、セピア色に染まるモスクワの街路道を重い足どりで歩きながら、悲しい気持ちになっていた。あぁ、ライサになんといえばいいんだろう。彼の胸は、ひどい衝撃と苦い現実に押しつぶされそうだった。
 党に秘密を知られたのもあるだろう。しかし、これはベリヤのせいでもあった。
  ベリヤは、スターリン死去の混乱に乗じて、国家保安省(MGB)と内務省(MVD)という巨大な権力を自分の傘下に入れてしまった。それはいわば数十万の人民警察や、収容所、情報部、などなどすべてを収めてしまったことになる。
「なぜ、スターリン大元帥は、自分ではなくマレンコフなんぞを後継者に選んだんだ?冗談じゃないぞ!我慢してスターリンにとりいっていたのは、すべて次の後継者となるためだったのに…それがよりによって、マレンコフだ?!あんな腰抜け野郎が、ソ連の指導者か?!」ベリアは何とも我慢がならなかった。知識もあり教養も家柄もいい自分が…教養もないスターリンのブーツを、喜んでナメるような真似までしたのは…何の為だったのか!くそう、もういい。こうなりゃ自分でスターリンのあとを継いでやろう!そう考えていたのだ。そして、もちろんマレンコフやフルシチョフはすぐにでも血祭りにあげてやろう、と。「ベリヤがクーデターをやろうとしている」
 内務省内にそうした噂を流したのは、ベリアに脅威を感じていたフルシチョフ、マレンコフ、ミコヤン、モロトフらだった。ベリヤは中央委員会の幹部会に呼ばれ、逮捕され、処刑された。罪名はいろいろとつけていた。オマケとして、秘密警察のボス「ベリヤ」は外国のスパイだった、というのもつけておいた。同時に、ベリヤの子分、メルクーロフ、ゴグリーゼたちも処刑していった。ベリヤの息のかかったのはすべて血祭りにあげ、根絶やしにしたかったのだ。そしてこの巨大な機関は、規模を縮小され、KGB(国家保安委員会)と内務省(MVD)に分割されることになったのだ。
 だからこそ党は、ベリヤの息のかかった人間を嫌った。ベリヤ派にバック・アップしてもらっていた野心家ミハイル・ゴルバチョフは、当然、好ましい人間ではなくなってしまったのだった。

「どうでした?」
 戻ってきたゴルバチョフに、ライサは明るくきいた。しかし、彼には答えられるわけもなかった。田舎に帰れ!…といわれた、なんていえるわけがない。それじゃあ、あんまりにも惨めだ。だが、このまま黙って突っ立っているわけにもいかない。
「検察官に何ていわれたと思う」苦い顔でゴルバチョフはきいた。「彼は、こういったよ。…スタブロポリに帰れ、とね」帽子を無造作に放り投げると、ベットのはしに腰をおろした。ミハイル・ゴルバチョフは空虚な、ひどく落ち込んだ気分だった。いまの彼は、完璧に敗者だった。何の気力も情熱もわかなかった。ひどく憂欝でもあった。
「党の方針に従って、五年間、モスクワのエリート社会にも出入りし、党のプロパガンダにも協力し、KGBに学生を就職させてやった。模範学生として評価も受けていた。ぼくは気分がよかったよ。当然、このことで何らかの報酬を得られると思ったし、きっと党も自分のことを認めてくれると確信していたんだ。絶対の自信があった。自分は…勝利者になれる。そう思ったんだ。だけど、そうじゃなかったんだ」ミハイルの声が沈んだ。「ぼくはただの敗者になり下がってしまっただけだった。何も…認められもしなかったんだ」 ライサはどう言葉をかけようか悩んだ。「きっと、なにかの間違いよ。あなた」
 ゴルバチョフは激しく首を横に振った。「違う。だったら、こんな負け犬みたいな気分になりはしない」妻の方に顔を上げると、妊娠中のライサは、悲しく、哀れみに溢れたような瞳で彼のことを見ていたため、凝視できなかった。
「僕らには、お互いに夢があった。党員として、学者として、より高い地位に上るという共通の夢があった。これからモスクワで勉学を続けていけば、間違いなく君は博士号を取得できるだろう…自分にもかならずチャンスは訪れるだろう、そう信じていた」
 ミハイル・ゴルバチョフは恐怖にかられたように、一人でぶつぶつとつぶやき始めた。ぶつぶつぶつぶつ。ライサは何をいっているのか分からなかったので、彼の唇のそばまで近づいた。
「なのに、チャンスはとうとう訪れなかった」ミハイルが呟いた。
 落ち込んだミハイル・ゴルバチョフを見るのは、ライサにとって始めてのことだった。自信満々な表情、笑っている、怒っている、冗談をいっている、努力している、策略をめぐらせている…そんな表情ではなく、ひどく沈んだ彼の表情を見るのは始めてだった。彼の落胆ぶりは、ライサを不安におとしいれた。
「大学の同志たちにはみせられない姿だな」ミハイルはつぶやきながら、ゆがんだ微笑みを見せた。「学校で他人を批判してばかりいたから…ぼくを嫌っている人間はけっこう多いんだ。こんな姿をみられたら、ザマアミロっていわれてしまうよ」
 彼の微笑みはしだいに消えていき、彼の茶色っぽい瞳に、不安が溢れだした。「なんで…あんなことしたのか…わからないよ。ただ、認められたいだけだった。他人の気持ちなんてこれっぽっちも考えていなかったんだ、きっと。ぼくは、バカだったんだ。何もわかっちゃいなかったんだ」弱々しくいった。
 ミハイルは不安に襲われ、自分は、やけにちっぽけだな、と感じていた。涙が目を刺激し、まばたきをして必死に耐えていた。この数年、ミハイル・ゴルバチョフは自分の努力と信念で人生をきりひらき、巧みな戦略で自分を守り、生き延びてきた。だが、それで多くのものを失った。多くの同志も、青春までも。自分の成功のことばかり考えて、他人のことを忘れてしまっていた。自分の地位を築くために、多くの人間を傷つけ、強引さのために多くの敵をつくってきた。
 ミハイル・ゴルバチョフは何年もの間、党のために働いて成功を得ようとした。その考えも何もかもがイタチのように老獪だ。人を巧みに操り、利用することができる。必死に身につけた知識で、どんな人間も論破することができる。必要ならば嫌なやつとでも握手する。それもこれもすべて、出世するため、認められるためだった。
 それがなんて皮肉だ!いきなり、挫折して、自分の胸にいだいていた計画が、吹き飛んでしまった。モスクワじゃなければダメなのに…帰れといわれた。しかも、いままで自分は他人のことなど考えもしていなかったことに…気付いてしまった。模範的学生、成績優秀、男前のミハイル・ゴルバチョフがどうして、仲の良くない人間の、自分より劣る人間の権利や気持ちを考えなければならないのだ。ゴルバチョフは数年のあいだ他の学生たちに向けていた気持ちや、冷酷な態度を思い出して、身震いした。どんなに後悔しているか、妻に伝えたいと思った。
「ダメな男だな。ぼくは…」
「そんなことないわ」
「ライサ」ゴルバチョフはいった。「君は、モスクワに留まっていてもいいんだよ」
「馬鹿いわないで!」彼女は怒鳴った。「確かに、モスクワに留まればチャンスも掴めるかもしれない。だけど、私一人が残ることなんて出来るわけないでしょう?私たち、夫婦なのよ」
「だけどそれでは…」ゴルバチョフがいいかけたが、ライサがさえぎった。
「どうしていってくれないの」彼女は夫の瞳を見つめて問いつめた。「ライサ、君がいないとダメだ。一緒についてきてくれ、って。すてきだと思うのよ、そういわれたほうが、女にとって。…またやり直せばいいじゃない。とにかくいまは我慢して、また、党の信頼を得るようにしたらいいじゃないの。…私たちの人生は始まったばかりなのよ。まだまだ、出直しがいくらでもきくはずよ」
 彼女はきらきらとした、微笑みをみせた。予想もしなかった愛情の波が不意に彼の胸に押し寄せ、心臓が締め付けられるような錯覚を感じた。ライサ!彼は、ライサの肩をぎゅっとつかむと、激しく抱きしめた。
 ライサは彼の頭を胸に抱き寄せ、彼の髪に頬を重ねた。こんなに悲しい状況なのに、喜びが彼女の魂を揺り動かし、きらきらとした光りでいっぱいにした。夫は私を必要としている。夫を信じていこう、彼の将来にかけてみよう。二人でがんばれば、何とかなるわ!
 1955年、モスクワ大学を卒業したゴルバチョフは、夫人をつれて故郷のスタブロポリに戻って行った。彼らがふたたびモスクワにもどってくるのは、それから二十三年後のことで、あった。

  55年5月、NATO(北大西洋条約機構)に対抗するため、ソビエトが東欧諸国を加盟させて、ワルシャワ条約機構をつくった。直接の引き金となったのは、西ドイツNATO加盟であったという。加盟国は、ソ連、東ドイツ、ポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどだったが、司令官は常にソ連国防省の人間が任命されていた。この軍事機関は91年に正式に解体された。だが、それまでの間、この機関は、様々な弾圧に利用されることになる。
 この頃、ソ連と中国は不仲になっていた。明らかに毛沢東(当時の中国指導者)とフルシチョフ(ソ連第一書記)の路線の違いが浮き彫りになってきたからだった。……

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする