みちくさ茶屋

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「勝間さん、努力で幸せになれますか」勝間和代、香山リカ

2013-05-21 | book
「勝間さん、努力で幸せになれますか」
勝間和代、香山リカ

香山リカさんと勝間和代さんの対談本。
私は対談本は好きではないのでほとんど読まないのだが、これは思わず手にとった。

図書館でこの本を見つけたとき、ちょっとした違和感を覚えた。
なんだろう?と思いながら貸出カウンターに持って行ったのだが、最初の勝間さんのまえがきみたいなのを読んでその違和感の正体がすぐわかった。
そうだった、勝間さんは、「努力して幸せになった人」ではなく「努力することが幸せな人」なのだった。なのでこのタイトルは、ちょっぴり的外れと言える。あえて狙ったのかもしれないけど。

香山リカさんの「しがみつかない生き方」が出版されたのが2009年7月。私は精神的に低迷期まっただなかだったので、この本は発売後すぐに読んだ。その最終章に「“勝間和代”を目指さない」という章立てがあって、私は大笑いしてしまった。その後、その章立ては話題に話題を呼び、そこばかりが大きく取り上げられ、書店ではおふたりの本が同じスペースに並んで「勝間VS香山」みたいなポップが掲げられるようになった。そうなると私はちょっと鼻白んだ。香山さんはべつに戦いを挑んだわけじゃないのになあ、と。「しがみつかない生き方」の中で、香山さんは「勝間和代」を否定しているわけではなく、「“勝間和代”」とちょんちょんをつけているのである。つまり、勝間さんご本人ではなく、もっとシンボリックな意味だったのではないかと思う。

しかし! この本で香山さんはかなり戦いを挑んでいる。ちょっと驚き(笑)。企画元のアエラがけしかけたのか、香山さん自身があえて「一般人目線」まで降りたのか。
勝間さんは全体的にひょうひょうとしていて、香山さんはかみつくかみつく。
これってたぶん、女性同士ならではの会話なんだと思うけど、勝間さんが「今日もお友達と集まりがあって、16個5000円のマカロンを買ったんですけど」とか言っちゃうもんだから、即座に香山さんが「そりゃ高くねーか」と食いつく。(注:高くねーかとは言っていない)その後、勝間さんが「私はコンビニで150円のワッフルを食べても幸せ」と言うんだけど、それに対して「150円のワッフルで幸せなら、月収18万円で十分じゃないですか」と、コンビニスイーツを買ってもやっぱり食いつく。

自分でもびっくりだが、私は勝間さんの本はほぼ読んでいる。最初は仕事で必要で、取引先から「読んでおいて」と言われたので読んだ。某著で「インディ(勝間的に自立した女性)になる条件は、年収600万以上稼いで、いいパートナーがいることで、そのパートナーは年収1000万円以上余裕をもって稼げる男」というのを読んで「なんじゃああああ、これは!!!」と驚愕した。頭にきたので、気に入らない箇所に赤線を引いて赤い付箋を貼った。しかし読んでいるうちに、なるほどためになると思う部分も出てくるのだ。そこには黄色い付箋を貼った。1冊読み終えてみると、赤い付箋と黄色い付箋は同じくらいの数だった。取引先の人にそれを見せたら「これ、ちょうだい!!」と切望されて奪われたが、その後仕事につながることはなく、私と勝間さんはご縁がなかった。「なんじゃこりゃ」と「なるほどためになる」を両方味わいながら、若干「カツマー」になりかけていた自分もいる。しかし、なにかの雑誌で「勝間さんの1日のタイムスケジュール」という表を見て、「ムリ!」と瞬時で判断し、はやばやとあきらめてしまった。私と勝間さんは、1時間のあいだにこなせる作業量が圧倒的に違うと悟った。

そんな私であるが、香山さんが「勝間さんが150円のワッフルで幸せだなんて意外。カツマーはそんなこと思いもしない」と言っているのを読んで、「そっかなー?」と思った。私は勝間さんがコンビニで150円のワッフルを買うところも、家で「おいしいわぁ」と食べているところも、見えるように想像できる。彼女はぜんぜん、「高級品が好き、ビンボー臭いものが嫌い」という嗜好ではないと思う。(というか、コンビニのスイーツはビンボー臭くない。150円のワッフルを安いとは私は思わない)勝間さんは「ここを改良したらこのワッフルもっと売れるんじゃないかしら」とか考えて楽しんでしまう人だ。彼女が注目しているのは「自分が購買する商品の値段」ではなく、「自分が働いて手に入れる報酬」のほうだ。蛇足だが、「150円のワッフルで幸せなら、月収18万円でじゅうぶん」というのも違うと思う。人はワッフルがあれば生きていけるわけではない。

勝間さんが冒頭で「私も<勝間和代>のコピーを目指すのは危険だと思う、人のコピーを目指すところに決して幸せはない。勝間和代の生き方ではなく、技術をまねてほしい」と書かれていて、それには「なるほどためになる」に一票だったのだが、そのあとすぐに、赤い付箋の出番がきてしまった。

「私は社会全体が一人の人間だと考えています。自分は社会という一人の人間の小さなパーツです。自分はたまたま右手で、右手で上手にものをつかめるようになると、社会である一人の人間がより上手に作業をできるようになる、そのことが幸せなのです」

って、勝間さんのこういうのを読むと「あーあ」と思ってしまう。右手なんて、人間の体の中で花形中の花形である。勝間さんは自他ともに認める右手でいらっしゃるだろうけど、「いいよな、右手は。俺なんか鼻毛だぜ」とか、「鼻毛ならまだ鼻の役に立ってるじゃん。僕なんて、盲腸でさ…役に立たないどころか、ちょっと暴れるとすぐ切られちゃうんだよ…」なんていう、多種多様なパーツで構成されてるんですよ、体=社会というのは。

香山さんは、そういう私のような卑屈な意見を見事にぶつけている。ここは演技かなあ、と時々思わせられるが、「あ、そうそう、そこのへん、もっと勝間さんに聞いてみて」と香山さんの背中からつぶやきたくなるような箇所がいくつもあった。正直、香山さんがこんなに「フツーの人」だとは思わなかった。なんというか、若い。勝間さんより8歳も年上なのにそう感じさせない。(でも、「マジ焦った」とかいう言葉づかいはちょっとやめたほうがいいと思う…)
ただ、香山さんが自分のことを「怠惰で努力が嫌い」「勉強が好きなんて信じられない」「仕事はただの義務で、喜びなんてない」とかいうのを呪文のように繰り返すのを読んでいくと、これまた「そっかなー?」と思ってしまうのである。
努力嫌いの怠惰な人が、あんなにばんばん著作物を出版できるだろうか? そもそも、医者になんかなれるだろうか? メディアに出続けることができるだろうか? 喜びはないっていうお仕事も、患者さんが「ありがとう」って言ってくれたときうれしかった、って告白(?)しちゃって勝間さんの思うツボだし、本が売れたらやっぱりそこに喜びはあるよね?

一貫して、勝間さんの考え方の構造はものすごくシンプルだ。
「がんばる→成功する」という図式を疑わない。余計なものをくっつけない。
一方、香山さんは、「がんばる→」の、→の先に、さまざまなものを想定する。アクシデントが起きたら? 病気になったら? 自分のことだけじゃなくて他者が原因となって物事が進まなくなったら?
そもそも、「がんばれなかったら?」
勝間さんとしては、「がんばらなかったら成功しないんだから自業自得でしょ」と言いたいんだと思う。勝間さんが冷酷な人なのではない。私は、どちらかというと勝間さんは愛の人だと思う。そうではなくて、勝間さんにはたぶん、「がんばりたくてもがんばれない人」というのが理解できないんだと思う。意味がわからないんだと思う。がんばりたいならがんばればいいんじゃないの?って不思議に思うところだろう。それは勝間さんが悪いのではない。右手は耳漏孔の存在すら知らないかもしれない。物知りの左手さんが「胎児のときのエラの名残でね、意味はないんだけど、時々臭い液体が出ることがあるんだ」と説明してあげても、絶対にぴんとこないはずだ。

私は現在、カツマーでもカヤマーでもないのだが、勝間さんの言うように、「努力することが楽しい」というのは身を持って味わうことがあるし、反面、香山さんがフォーカスする「がんばれない自分が苦しい」ということも感じている。矛盾しているようだが、同じ人間の中でじゅうぶん起こりうることだ。
読みたい小説がのきなみ図書館の予約待ちでなかなか来ないので手を伸ばした対談本だったが、とても興味深く読んだ。フィクションばかりでなく、こんな本に触れるとまた違ったドラマを感じる。


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