昨年から引き続いて、今年も早稲田のオープンカレッジに通っています。
主に幕末明治の歴史に関連する科目をとっています。
堅曹さんが晩年(明治43年)新聞記者に語っている言葉があります。
「なお西郷、大久保両雄の心事については世の中の人の知らぬ
秘密があるのです。
誰も知りませんが、ただ五代友厚だけは知っていました。
私も聞きましたが、これは死を以て言わぬと誓ったことだから、
五代亡き後ではあるが、語られませぬ。」
(記者、それではその秘密は貴下百歳の後は永久に秘密として
埋没するわけですなと言えば 「そうです。仕方がありません」とて
憮然として目を閉じて感慨の面持ちをされる)。
『大久保利通』 佐々木克監修 講談社学術文庫より引用
この堅曹さんの言葉がどうしても私の頭からはなれず、
一年間をとおして
「木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通 ー彼らの軌跡を史料でふりかえるー」
という講座をうけています。
彼らの残した手紙や日記を読むという、自筆の史料からその人物像や
出来事の事実を確認していく、という講座です。
現在西郷さんがおわり、大久保さんをやっています。
西郷は日記はなく、手紙を読みました。
特徴は感情のまま書いていて、友人の家族のことなどもこまごま書いています。
腰の低い、へりくだった人なのがわかります。
でも判断にかける部分があったり、いいわけがましい文がおおかったりもします。
相手によっては本音なのか愚痴ばっかりこぼしたり。
人間味があるといえばそんな感じです。
西郷は人望があったといわれていますが、それは評伝などの死後の評価であり、
手紙を読んでも実像はわかりにくい、と先生はおっしゃっていました。
手紙にかかれていることから、事件の真相がわかったり、
微妙な立場がわかったり。
それを読み解いて歴史学者はひとつひとつ解明していくのだと知りました。
この秋からは大久保の日記を読んでいます。
日記といっても備忘録といったかんじのものです。
たとえば生麦事件では、その場に居合わせていたのだけれど、
実に簡潔にたんたんと書いてあります。
余計なことは書かず、事実と大切なことがらはきちんと残す。
頭のなかですべて整理して書いているところに
大久保の能力や性格がでているという。
大久保は西郷とは違い、多くの史料があるにもかかわらず、不当な評価が多い。
これも後年の特に鹿児島や佐賀の人々が作り上げた面が大きい。
とまあ、こんなことを教えてもらいました。
歴史って事実が解明されていることはほんとうに少なくて、
特に人物像は後年の評伝などのイメージでつくりあげられている部分が
大きいのだな、とおもいました。
歴史上、大久保さんと西郷さんの関係はとても不可解なものとされています。
幼少期からの大親友であったのに西南戦争での最後の戦い。
残された史料からは
このときの二人の気持ちは永遠に解明されることはないのでしょう。
堅曹さんに聞けるものなら聞いてみたい、とすごく思うのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます