10月30日早稲田大学125周年記念シンポジウム
「角田柳作-日米の架け橋となった“Sensei”」に行ってきました。
「原三溪市民研究会」でお世話になっている内海孝先生が長年研究なさっているもう一つのテーマ、角田柳作について発表なさるというので聞きにいきました。
翌日の上毛新聞にもこのシンポジウムの記事が出ていたそうで、角田柳作は群馬県出身です。
明治10年(1877)赤城町で生まれ、富岡の親戚の家から北甘楽第一小学校へ通い、県立前橋高等学校に入学、その後東京専門学校(早稲田大学)にはいり、卒業。
雑誌編集者や中学校教員などをへて、アメリカ合衆国に渡り、コロンビア大学を中心に日本学研究の種をまき、ドナルド・キーン氏をはじめ多くの一流の日本研究家を育てた。
昭和39年(1964)ホノルルにて死去。
「日本学の祖」といわれ、コロンビア大学では今でも「せんせい」といえば角田先生にきまっているといわれるほど、その授業の内容、熱心さにおいて尊敬の念と親しみをこめて慕われています。
当日は朝10時より、
内海孝(東京外国語大学教授)
和田敦彦(早稲田大学准教授)
ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)の講演がおこなわれ、、
午後は
ウイリアム・T・ド・バリー(コロンビア大学名誉教授)(録画)
甲斐美和(元コロンビア大学図書館司書)(録画)
のインタビューが上映され、
その後午前の講演者と子孫の角田修氏を加えてのパネルディスカッションがおこなわれました。
充実した内容でした。
直接堅曹さんの先祖調べとは関係のないシンポジウムですが、どうしても行ってみたいと思いました。
その功績に比してあまり知られていなかった角田柳作を調べるために、先生たちは足跡をつぶさに訪ねて、次々と新しい史料を掘り起こしています。
そして御子孫の修氏が素人ながら資料をまとめられたり発掘したりしています。
そうやって今回のシンポジウムが開催できるまでに研究をすすめられた経緯に私は堅曹さんの史料探しとの共通点をひそかに見出し、心ひかれるものがありました。
生前お会いしている方達(キーンさんやド・バリーさん、甲斐さん)の角田柳作に対する愛情と長年研究している先生方の角田柳作のことをもっと知ってほしいという情熱が感じられた、気持ちのいいシンポジウムでした。
おまけ
ちょうどシンポジウムの終わる頃、早稲田大学の東京六大学野球のリーグ優勝が決まり、凱旋パレードをしながら戻ってきた野球部の優勝報告会もついでに見てきました。
モチロン斉藤君いました!
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