お正月もおわり、8日の木曜日は群馬へ今年最初の伝道師協会の
歴史ワーキンググループによる勉強会に行ってきました。
皆元気にあつまり、(いや、若干一名風邪引きの方がいました!)
これからの一年間とプラス来年の1、2、3月までの勉強会の日程を決め、
真新しい手帳にどんどん書き込みました。
実は私はここ何年間、4月はじまりの手帳を使っています。
ですので、今年もまだ去年のがつかえるのですが、
三が日明けに新しく1月始まりの手帳を買いました。
昨年よりある手帳を探していました。
「ほぼ日手帳」です。
糸井重里さんの有名サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で作っている手帳ですが、
通販以外は全国のLOFTで売っているというので、
行こう行こうと思っているうちに年が明けてしまいました。
しかしこの手帳すごく人気があるらしく、とっくに完売で、
一番ちかいLOFTに数点あるだけでした。
お店にいって現物を見てみたら、思っていたより一回り大きい!
だいたい物をたくさん持ち歩く人で、いつもカバンがパンパンなのに、
こんな大きな手帳はとてもじゃないけど入らない。
それでこの手帳を買うのはあきらめました。
でも、折角手帳売り場まで来たのだからと、いろいろ見ていたら、
使い勝手のよさそうな手帳があり、今のがまだ4月まで使えるのに、買ってしまいました。
その新しい手帳に早速来年までの予定を書き込んだというわけです。
前置きがだいぶ長くなりました。
歴史WGでは、毎月速水堅曹の自叙伝『六十五年記』を読んでいます。
今回読んだ箇所は明治19年から20年(1886~1887)にかけての出来事です。
堅曹さんは当時富岡製糸所の所長をしていながら、
蚕糸業組合や蚕糸業諮問会の中央会議にも出席することが多く、
東京と富岡を行ったり来りしています。
40代後半で仕事の責任も大きく、中央でも活躍していた頃です。
ちょうど富岡に電信局を設置するためにも尽力しています。
しかしプライベートでは、嫁いだ長女と生まれたばかりの末女を相次いで年末に亡くし、
その長女の子供も年明けに亡くすという、なんとも悲しい出来事がおきています。
和歌が3首載せられています。
思ひきや夢の世ながら夢のこと
うつつの嘆きあらむものとは
ふたり子を北と南にうしなひて
いともさひしき年の暮れかな
かくばかりかなしき事のかさなれば
かなしき事もかたつきにけん
多分堅曹さんにとって、人生で最も辛く、悲しい年末年始だったとおもいます。
その時のつらさはいかばかりかとおもうと心が痛みました。
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