今度の大震災で親戚や友人で被害にあった人はいなかったのだが、
唯一大津波に呑まれた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区に知人がいる。
それはもう6,7年前になるけれど、先祖調べで宮城県の岩沼あたりに行ったことがあった。
堅曹さんの孫の結婚相手がその地の出身者だったので、戸籍謄本の住所をたよりに尋ねていった。
探している人物は晩年が不明で、いつ亡くなったのか、お墓はどこにあるのかさえもわからなかった。
岩沼市役所に行って何か手がかりをとおもい、その人物の兄妹たちの戸籍をみたいと聞いてみたが、
直系でなければ戸籍等は教えられない、と断られて途方にくれていた。
役所の人も気の毒におもったのか、戸籍謄本に書いてある住所の現在地を教えてくれ、
そこは古くから続いている旅館だから、行ってみたら何かわかるかもしれない、と言った。
早速向かったのが、閖上地区であった。
漁港の目の前にある小さな旅館だった。
見知らぬ者が突然、このような人物は知りませんかと尋ねてこられて、むこうも驚いたようだったが、
そこの女将さんは、私は嫁だから古いことはわからないけれどちょっと待って、と言って
奥にいるお年寄りの女性に聞きにいってくれた。
義理の姉になるらしい。
そのおばあちゃんが、そういえばその人の名前は聞いたことがある、と言った。
そしてその人の姪が私の友達で、たしかその息子が近くに住んでいるから電話してみよう、と。
わたしはその話に心臓がドキドキするほど驚いたが、
すぐにあがってといって私を炬燵のある居間に連れて行ってくれて、そこで電話をかけてくれた。
電話はつながり、私の探していた人物の消息を聞くことができた。
それは本当に驚愕の内容で、いろんな想像をはるかに超える話だった。
メモをとる手が震えていたのを今でもおもいだす。
女将さんとおばあちゃんは私のそんな様子を温かく見守ってくれて、
電話がおわると、よかったね、といってお茶やお菓子をだしてくれた。
その温かいもてなしに幾重にも幾重にもお礼をいい、閖上地区を後にした。
帰宅後お礼の手紙をだしたところ、名物の笹かまぼこをたくさん送ってきてくれた。
その返信の最後には、
「閖上にはいつでも私達がいるから忘れないで。ご先祖のことを探してくださいね。」
と書かれていた。
あの閖上の女将さんやおばあちゃんは逃げることができたのだろうか、
お嫁さんやその子供たちも見かけたが、皆大丈夫だったのだろうか。
瓦礫と化した閖上の写真を見て愕然とするばかりである。
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