GWのはじめに娘やお嫁さんと女子だけ(+孫のヒロト)で伊豆長岡に行ってきた。
今年は震災の影響で直前でも宿がとれるらしい、とか
行楽地もすいているらしいと聞いて、急遽決めた。
車でいける近場で放射線のすくないところ、海に面していないところ、
温泉のあるところ、のんびりできるところ、などを条件に決めていった。
当日はまず小田原にいき、駅ビルの美味しい魚料理のお店「魚国」で昼食。
ここは昨年の原三溪の箱根遠足できたところ。
それから1歳半のヒロトのため小田原城址遊園地に行った。
ここもそのとき教えてもらった、「小さい子を遊ばせるにはとってもいいよ~」と。
ランチを食べてから、歩いて遊園地まで。
小田原城がすぐ横に見上げるようにあり、木立にかこまれ、
こじんまりとしているが小さい子にはちょうどいい。
大人も乗れる小さい機関車がぐる~と走っていて、一回に2周もしてくれる。
料金は大人100円。2歳以下はタダ。
電気自動車なども1回30円と良心的。
車の渋滞で予定より時間がなくなり、もっと遊びたいのを切り上げて伊豆へとむかう。
さて伊豆長岡は宿泊を決めた後で、そうだ、原三溪の別荘「南風村荘」があったところだと思い出した。
いつか行こうとおもっていたので、偶然とはいえ、これは跡地をみてこなくては、とおもった。
宿の「三養荘」には夕方6時近くに着いた。
ここは昭和4年につくられた岩崎弥太郎の息子久弥の別邸だったところで、
庭が広いという話しであった。
まずその玄関の広さから圧倒され、素足で長い廊下を気持ちよく歩いて、
本館という実際に岩崎家で使われていた建物に案内された。
ぐっとレトロで重厚なゾーンだ。
当時のままだという玄関の横を過ぎ、畳廊下から引き戸を開けて入ったその部屋は、
あまりの広さと豪華さに一瞬目を疑い、
あの3人だけですが、この部屋でいいんですか?と聞いてしまったほど。
えっ、特別室を頼んだわけじゃないよね、と頭のなかでぐるぐる。
その瞬間から女3人+ヒロトの興奮ははじまりました。
部屋は10畳、12畳、6畳の三間でまわりはぐるっと畳敷きの広縁。
昔のゆがんだガラス戸をあければ、そのまま300坪の庭にでれる。
欄間や柱もふすまもも凝っている。
蚊帳をつる器具が部屋の四隅に。
調度品は朱の漆塗り。
座椅子に脇息、鏡台など懐かしい品々。
岩崎家別邸のときは客間として使われていた部屋だという。
当時のお偉いさん達がお泊りになったんだ、とおもうだけで
わたしなどはテンションが上がってしまう。
早速お庭にでて散策。
ちょうど黄昏時で照明がともった各部屋は庭に溶け込んでとても素晴らしい景観。
こんな素敵なところに泊まれるなんて、幸せ!
夕食も温泉もとてもよかった。
夜おそくまで、広~い部屋でのんびりとおしゃべりに興じ、
まるで自分達だけしか泊まっていないかのように静かで、本当の別荘にきたように寛いだ。
さて翌朝早くに起きて、朝風呂。
そのあと庭にでて、散策しながら写真撮り。
まだ朝食まで時間があったので、一人で車で原三溪の別荘のあった場所を探しに行った。
数年前まで会社の寮として残っていた建物は壊されてしまい、
今は普通の住宅がいくつも建っているだけ。
家の前に住んでいる古老に話しを聞いてみた。
ここが門で、奥のあのあたりに家があったよ、敷地はここからあそこまで、と教えてくれた。
昔はまわりはずっと畑で、全然景色が違ったという。
自動車道路も目の前にあり、写真で見た山の中の田舎家という面影はまったくなくなっていた。
奥のほうに進むと神社と古いお寺があった。
そこにいたおばあさんにも話しを聞いた。
そのあたりはずっと静かで、山里の感じが残っていた。
三溪さんの別荘は建物だけでも移築して残せたらよかったのに、とおもった。
さて雨も降ってきて大急ぎで宿にもどり、朝食を済ませ
11時のチェックアウトまでまた一休みして、ゆっくりした。
帰りは箱根を通ってそこそこ渋滞にあいながら帰宅。
思い出に残る旅となった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます