堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

近江八幡 瑞龍寺(夏休みの旅)

2008-09-07 22:59:08 | 旅行

旅行の2日目(9月1日)は近江八幡です。

滋賀県、琵琶湖のほとりに位置します。

近江商人と建築家ヴォーリスで有名な街です。

女性には和菓子の「たねや」の本店があるというとピンとくるかもしれません。


この地の八幡山の城跡に建つ門跡尼寺「瑞龍寺」を訪れるのが

今回の旅の最大の目的でした。



その理由とは

堅曹さんのお墓とモニュメントがある、日蓮宗「村雲山 瑞法光寺」の

由来から話すことになります。

  「瑞法光寺」は明治18年(1885)、京都の門跡尼寺「村雲 瑞龍寺」の

  第十世日英尼によって東京日本橋小伝馬町に開山。

  いわゆる伝馬町牢屋敷の跡地になります。

  村雲別院といわれ、鬼子母神をまつり、東京での布教をおこなう。

  また、この地には身延山久遠寺が「身延別院」として祖師堂をつくり  

  新高野山「大安楽寺」も建立され、伝馬町牢屋敷で亡くなった人々の霊を弔う

  という役割もあたえられていた。

  大正12年(1912)の関東大震災で焼失したが、昭和4年(1929)に再建された。

  平成元年(1989)茨城県取手市に本堂が移築され、現在にいたる。



このような経緯をもつ「瑞法光寺」にとって、たいへん縁の深いお寺が「瑞龍寺」となります。


瑞龍寺とは

  豊臣秀次の母(秀吉の姉)瑞龍院日秀尼が若くして高野山で切腹させられた

  秀次の菩提を弔うため文禄5年(1596)に建立した。

  このとき後陽成天皇より京都村雲の地と「瑞龍寺」の寺号を賜った。

  日蓮宗唯一の門跡由緒寺院となり、後継は代々皇族、五摂家、華族からでている。

  よって村雲御所とも称されていた。

  昭和36年(1961)京都堀川今出川村雲の地から、ゆかりのある秀次が築いた

  近江八幡市の八幡城本丸跡に移築した。



さて、朝一番からこの「瑞龍寺」にむかいます。

まずは市の中心にそびえたつ八幡山へ。

この近江八幡の町を一望できる山の頂上に昔、八幡城がありました。

ロープウエーにのって5分で着きます。


Cimg4397 八幡山ロープウエー


おりてから少し階段を登っていくと、城の石垣が残っており、「瑞龍寺」があります。


Cimg4391_2  Cimg4329 山門



村雲御所瑞龍寺門跡 と書かれた山門をくぐり、


Cimg4332 本堂


本堂でお参りをしました。


Cimg4335 石で妙法と書かれた庭


回り廊下をとおり庭を見ながら、奥へいき、


Cimg4346 雲の間


宮御殿「雲の間」を見学しました。


Cimg4356 豊臣秀次像


その奥には関白豊臣秀次卿銅像の原型が置いてありました。

市内の八幡公園に銅像は建立されています。


堂宇からの眺めはすばらしく、近江の町が一望です。


Cimg4361   Cimg4393



たっぷりと「瑞龍寺」で時間を過ごし、また、ロープウエーにのって下へ。


降りたところには日牟禮神社があり、そこに「たねや」の食事どころがあります。


Cimg4408 日牟禮茶屋


ちょうど昼となり、ご飯にしました。


Cimg4401 せいろ蒸し膳 里山

枝豆のおこわに近江麩のお吸い物、近江野菜のおばんざい。

食前、食後に和菓子もつき、大満足のおいしさでした。


午後は、近江八幡の町めぐりです。

つづく。