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ジャック・ロジェ監督『オルエットの方へ』その2

2012-10-20 04:17:00 | ノンジャンル
 最近WOWOWライブで放映されている、中村平成座の中村勘九郎にはまってます。男気のある人物を演じさせたら、今の歌舞伎界では、右に出る人はいないのではないでしょうか? それにしても、歌舞伎にはにっちもさっちもいかない状態で行われる殺人が多いことを、中村平成座やコクーン歌舞伎を見るようになって、初めて知りました。

 さて、昨日の続きです。
 「グリュエット農場」の字幕。夜に農場のおじさんから好きなだけウナギを持っていけと言われ、キャーキャーと笑い叫ぶ3人。別荘に帰ると、やはりキャーキャー言いながら、キャロリーヌは2階の浴室でウナギをたらいに移します。やって来たジルベールが何か食べるものはないかと言うと、カリーンとジョエルは冷蔵庫からトマトと生肉を彼に投げつけ、魚だったら2階の浴室のたらいの中にあると教えます。そこへ行ったジルベールは、ウナギをさばこうとしますが、過ってたらいを1階に落としてしまい、大量のウナギを床にぶちまけてしまいます。ジルベールがたらいにウナギを戻している間、またキャーキャーと言って笑い転げて逃げまどう3人。
 「9月12日」の字幕。水着姿の3人は、服を着ているジルベールをふざけて海に入れようとします。日光浴をしていたジルベールにちょっかいを出すキャロリーヌとカリーンでしたが、静かにしたいと言うジョエルはそこを立ち去ります。夕暮れが迫り、彼女を探した2人は、ジョエルが拾った凧を揚げることに成功しますが、やがて凧がヨットのマストにからまってしまい、ヨットの持ち主のパトリックに取ってもらいます。明日の3時にヨットに乗らないかと誘う彼にうなずく3人。
 「9月13日」の字幕。3人にジルベールも付いてきますが、パトリックは「今日は風が弱いので自分を含めて3人しか乗れない」と言い、本を持ってきたというカリーンは辞退することになります。揺れて傾くヨットにはしゃぐジョエルとキャロリーヌ。カリーンはブラを外してうつぶせになり、背中を焼きます。見事な夕日の中を戻ってきたヨットを迎えるカリーン。パトリックは踊れる店に今夜行こうと3人を誘います。
 「9月15日」の字幕。3人はジルベールとパトリックとともに馬の遠乗りに出かけます。夕食にはパトリックも招待され、キャロリーヌは「今日は記念日とするために、夕食を牡蠣にした」と言います。酔っぱらうジルベール。泳げないと固辞するカリーンにを、トリックは強引にヨットに誘い、明日も乗馬をしたいというジョエルの意見は無視されます。沈んだ表情のジョエル。
 「9月16日」の字幕。泳げないならマストにしがみつけ、とカリーンはパトリックに言われ、彼と2人きりでヨットに乗ります。ヨット上で悲鳴を上げるカリーン。船に乗り魚を釣ったジルベールとジョエルとキャロリーヌは帰宅し、酒をあおり目がすわっているジルベールに、会社にいるみたいとジョエルが言うと、彼は会社の話はしないでくれと言い、祖母伝来の料理に取り掛かります。ジョエルはカリーンの帰りが遅いとやきもきし、3人はカリーンの帰りを待たずに食事を始めますが、ジョエルもキャロリーヌも無口で、やがて釣りで疲れたというキャロリーヌは小卓で眠り始め、ジョエルも毛布にくるまります。ようやく帰って来たカリーンが、食事は外で済ませてきたので要らないと言うと、キャロリーヌは早々と自室に戻り、無口なジルベールとジョエルの様子を見て、カリーンも自室に行きます。怒って席を立つジョエル。(またまた明日へ続きます……)

ジャック・ロジェ監督『オルエットの方へ』その1

2012-10-19 02:36:00 | ノンジャンル
 ジャック・ロジェ監督・脚本・共同編集の'71年作品『オルエットの方へ』をDVDで見ました。
 オフィスで仕事の合間にOLたちがバカンスの過ごし方を話しています。ジョエルは昼休みに友人のカリーンと話し合い、彼女と彼女のいとこのキャロリーヌとの3人で、キャロリーヌの母が持つ、大西洋の遠浅の浜辺に面した別荘で過ごすことにします。
 「9月1日午前7時」の字幕。駅でキャリーバッグを引くジョエルら。
 「午後4時半 サン=ジルクロワ=ド=ヴィ到着」の字幕。漁師のおじさんにからかわれ、笑い転げながらおじさんの船で浜辺に到着した3人は、相変わらず笑い転げながら急な砂丘を苦労して登り、別荘に到着します。「5才の時以来だ」とカメラに向かって独白するカリーン。屋上で夕陽に見入る3人。
 「午後7時半」の字幕。夕食の相談をし、浴槽は海を使えばいいと話す3人の後に、見事な夜の海のカットが続きます。
 「9月1日午後10時」の字幕。「クックー」と呼び合いながら、祖母のおまるを見つけてはしゃぐカリーンとキャロリーヌ。ジョエルは1人ベッドに潜り込んでいます。
 「9月2日 お昼 シャルドネット荘」の字幕。ジョエルは起きだし、キャロリーヌを呼んで二人でベランダで深呼吸します。野菜をくれるグリュエット農場に言及し、「リュ」の巻舌の発音に笑い転げる3人。ジョエルは魚を食べてダイエットすると言い、パリで買った「やせるための免許証」という本を取り出し、その本のカロリー表を見て1日千カロリーに抑えると言います。運動の相談をし、浜辺で網を振り回してエビ採りをする3人。
 「9月4日」の字幕。下の店で朝食を食べようというカリーンに誘われて、ワッフル屋で食べる2人。1人は水着を着て海に入り、キヤロリーヌは母に向けて絵葉書を書きます。
 「9月6日」の字幕。床掃除をしていて、バケツの水をぶちまけてしまう2人。食器洗いをする3人。
 「9月7日農場からの帰り」の字幕。自転車に乗った2人は、「オルエット」の看板にぶつかりそうになって笑い、「カジノ・オルエット」の看板を見ても笑い転げます。カジノに着ていく服がないと言うカリーンとキャロリーヌは木靴を履いてはしゃぎだし、やがてジョエルもそれに加わります。「オルエットはどこじゃ?」とふざけて叫ぶ3人。その後の侘びしい夕食。
 「9月8日」の字幕。漁船に乗らせてもらった3人は、船を降りるとジョエルの上司のジルベールに出会います。彼はテント生活をしていると言い、3人をカジノ・オルエットに誘います。別荘に帰り、「オルエット!」と叫びながら木靴を履いて屋上で踊る3人。ジルベールの運転する車に乗り、道案内の看板が現れると、一々笑う3人。カジノがただの民家なのを見て、また笑い出す3人。
 「9月9日」の字幕。快晴の朝の浜辺を散歩する3人。帰って来た3人はベッドに雪崩れ込み、寒いと言い、カリーンはベビーベッドを寄せてその中に入ります。やがてお菓子の話で盛り上がると、扉に一番近いところに寝ていたジョエルがお菓子を買って来ることになり、強風の中、彼女が買って帰ると、3人はお菓子にむしゃぶりつきます。手や顔がベトベトになって笑うキャロリーヌとカリーン。風の音を気にしながらベッドに寝転んだ状態で、夕食を食べトランプをする3人。そこへジルベールが訪ねてきて、嵐なので泊めてほしいと言いますが、キャロリーヌは母から男は泊めるなと言われていると言い、風も防げるので庭にテントを張ればと言います。彼が自分に付きまとう言って嫌がるジョエルに、いくらでも“からかえそう“”と言うカリーン。
 「9月10日」の字幕。テントの外で騒音を鳴らしてジルベールを起こした3人は、エビ採り用の網を彼に被せて、からかいます。日光浴をしながらティータイムを楽しむ3人に、ジルベールはまたも、いいようにからかわれます。やがて音楽に合わせて踊ったり雑誌を見たりして過ごす3人。(明日へ続きます‥‥)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

ジャック・ロジェ監督『パパラッツィ』&『バルドー/ゴダール』

2012-10-18 04:33:00 | ノンジャンル
 '53年にパリで初演された、サミュエル・ベケット作の『ゴドーを待ちながら』の台本を読みました。
 1本の木の元で、夕べに来るというゴドーを待つヴラジーミル(ディディ)と、それをすぐに忘れて帰ろうとするエストラゴン(ゴゴ)(括弧内はお互いの呼び名)は、本人たちは真剣に意味があると思っているのかもしれませんが、我々からは到底意味があるとは思えないことを延々と話し合って、暇をつぶしています。そこに奴隷の犬と化したにもかかわらず、すぐに眠ってしまうラッキーと、彼が持つ綱を首に巻いたラッキーの主人のポッツィが現れ、ディディとゴゴとの間に騒動を起こします。ポッツィらが去った後、男の子が現れ、今日は来れなかったが明日は来るというゴドーからの伝言をびくつきながらディディらに話し、ディディから「自分と会ったことをゴドーに伝えてくれ」と言われて、男の子は去ります。次の日の夕べ、またディディとゴゴはゴドーを待ちますが、今度現れたポッツィは盲目となっていました。そしてまたドタバタ劇が展開され、男の子とも同じようなやりとりをした後、ディディとゴゴは明日ゴドーが現れなければ、目の前にある木で2人で首を吊ろうと誓い、終劇を迎えます。
 マルクス兄弟の映画を思わせるナンセンス劇で、読み始めた時にはとまどいましたが、読み進めるうちに、どんどん面白さにはまっていきました。既に有名で伝説的な作品であり、詳しいあらすじを述べると膨大な量になるので、ここでは割愛させていただきますが、まだ読まれていない方には是非読まれることをお勧めします。

 さて、ジャック・ロジェ監督・脚本・編集の『パパラッツィ』と同監督・ナレーション原稿・朗読・共同編集の『バルドー/ゴダール』(どちらも'63年製作の短編)をDVDで見ました。
 『パパラッツィ』は、前半はロジェによるナレーションでゴダールの映画『軽蔑』の内容とベベことブリジット・バルドーのことについて説明され、後半はベベをカメラで追うローマから来た3人のパパラッツィのナレーションが自分たちの正当性を語っています。『軽蔑』のラストシーンの撮影が行われた1963年5月7日から1日ずつ区切って語られていき、ロジェによるナレーションはベベのことを「君」と呼んでベベのことを紹介し、他の出演者であるフリッツ・ラングやジャック・パランス、ミシェル・ピコリ、ジョルジア・モルも彼らを映したショットとともに紹介されていきます。小説家マラバルテが所有していた、岩場に囲まれた館が撮影場所で、そこに行くにはボートで海から崖を登るしかなく、海からの通路は警官やカタビニエによって警備されています。群衆に囲まれるベベや撮影風景などが示され、ストップモーションやベベが表紙になった雑誌が次々に示されたりもします。岩陰に潜んでベベの姿を追っていたパパラッツィはついに見つかってしまい、勇気あるゴダールが直談判に行きますが、それ以降はパパラッツィによるナレーションとなり、パパラッツィに対して怒るベベに、パパラッツィはベベを非難する記事を新聞に掲載して対抗し、ベベのビキニ姿と彼女の愛犬が撮れれば最高だと言い、警官やカラビニエの悪口を言った後は、仲間の悪口にまで発展していきます。
 『バルドー/ゴダール』は、『軽蔑』でゴダールが何をしたがっているかをロジェがナレーションで語っていくもので、ゴダールのナレーションも一部含まれています。

 『パパラッツィ』は20分、『バルドー/ゴダール』は10分の映画でしたが、結構楽しめました。特に『バルドー/ゴダール』の方ではゴダールの映画への姿勢をよく理解したナレーションになっていて、ロジェのゴダールへの思いがよく見てとれたと思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

ジャック・ロジェ監督『ブルー・ジーンズ』

2012-10-17 05:00:00 | ノンジャンル
 ジャック・ロジェ監督・共同脚本・編集の'58年作品『ブルー・ジーンズ』をDVDで見ました。
 スクーターに乗る2人の青年を逆光で後退移動撮影する画面にタイトル。埠頭でスクーターが止まり、「あの日のことは忘れない。若い女は中年男が好きだ」というルネのナレーション。(以下、「」はルネのナレーション。)「その前日、俺たちは苦労した。」街路の移動撮影。「いい女が少ない。ガソリンを食うだけ。」2人乗りのスクーターで街路を流すルネとダニイ。「ダニイのシャツは目立つはずだが、大通りはナンパに向かない。スカした女ばかり。」スクーターに乗ったまま娘に話しかけるダニイ。「ゲッソリした俺たちはショバを替えた。」海岸沿いの道で2人連れの娘をナンパする2人。無視する娘らにしつこく話しかけていると、娘たちは怒り出します。車でやってきた仲間のロジェが娘らに「一緒に散歩しているのかい?」と聞くと、笑い出す娘ら。「車に乗ったロジェはかえって警戒された。結局奴のせいで俺たちも空振りだった。“仕事”に戻ったが、やる気が出ない。スクーターじゃ車にかなわない。」車に2人の娘を乗せている男。
 「だが翌日、俺たちは作戦を変えた。」2台のスクーターに乗ったルネとダニイ。もう1時だからと言って、昨日の2人の娘に話しかけると、水着姿の娘らは1人ずつスクーターに乗ります。ガソリンスタンドで娘らが一旦降りた後、ホースの水ではしゃぐ娘らをはた目に、カネがなくなったと話すルネらは、スタンドの店員に、担保としてスクーターを1台置いていくと言います。娘らに誘われ、下へ行くと、そこには木に囲まれた小さな浜辺がありました。戦闘機のマネをするルネらに笑う娘ら。座っている娘の足の上に石を置いて、ちょっかいを出すルネ。彼らは2組のカップルとなり、だらだら過ごす彼らの様子がオーバーラップによって同じ構図で繰り返されます。寝転んで娘にキスするルネ。「“出だし”はよかったが、夢は続かない。適当な話をした。“人生は短い。青春も。自分の美しさを分かってる?。好きだよ。”反応がなかった。“愛してる。原爆の時代、何があろうと大したことない”」海に背を向け、水と戯れる娘と、海面を見つめ、あぐら座りをして物思いにふけり、石を地面に叩きつけるルネ。「ウソはダメだ。」手をつなぎ、水際を歩いてくるダニイと娘。「バカな男だぜ。」カメラ前を通り過ぎ、歩いていくダニイら。合流した4人はスクーターに4人乗りしてはしゃぎ、カメラはそれを正面からとらえます。短いフェイドアウト(F.O)、フェイドイン(F.I)。
 狭い街路で止まったスクーターに乗り髪をとかすルネ。「夕食を済ませた俺たちは何をする? テレビなんか見る暇はない。外出だ。デートへ直行。彼女たちも食事を終えた。こっちは突撃するだけだ」スクーターを発進させるルネ。集まっていた仲間たちに白い服を冷やかされた後、やって来た娘たちを2台のスクーターに1人ずつ乗せて発進します。夜の街路を進むスクーター。「観光客は夜のカンヌに魅了される。かぐわしき香りに包まれ、何とも言えぬ甘さが漂う。楽しい夜を期待して、我らの胸は弾む」というダニイのナレーション。「よく言うね。まず行き先を決めねば! アンティープ通りを往復すると、彼女たちはビックリしていたが、ガソリンは高いし、一晩中は走れない。」映画館の写真に見入る娘ら。「映画を見るのもよかったが、俺たちは2人をダンスへ誘った」F.O、F.I。ロジェの車から流れる音楽に合わせ、カップルとなり踊る4人。車の中で娘を口説くロジェは、無理矢理キスしようとして抵抗され、車は立ち去ります。F.O、F.I。夜の階段に座り込むルネ。「これで終わりだ。運も尽きた。僕はあきらめた。相棒の努力もムダだろう。彼女が“うわ手”だ。」抱き合ってキスするダニイと娘。「いくらやっても苦労するだけ。望みがあると思ってる。奴を見てると悲しくなる。誇りも失ってる。」話し合ってるダニイと娘。「奴は気づいてないが、もうこの恋は終わりだ」別れるダニイと娘。ダニイとルネは合流して、失敗だと語り合いながら店に入ります。「失敗したが、どうってことはない。明日は年上を狙えばうまくいくかも。俺たちに明日はある。」ピンボールの得点画面。オーバーラップで人々が集う浜辺の移動撮影。そこを娘にちょっかいだしながら歩くルネとダニイ。

 たった23分の短編でありながら、青春の楽しさと侘びしさをドキュメンタルに描いた希有な作品だったと思います。58年に生まれたこの作品をゴダールが激賞したのも、うなずかれました。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

山田宏一『永遠の青春映画(ジャック・ロジェ論)』その3

2012-10-16 03:53:00 | ノンジャンル
 またまた昨日の続きです。
 海とバカンス、といっても、裕福なブルジョワたちの、例えば南仏コートダジュールでロケしたアメリカ映画、フランソワーズ・サガン原作のオットー・プレミンジャー監督作品『悲しみよこんにちは』(1957)に描かれたような豊かなブルジョワ階級のバカンスではなく、ほとんどジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』(1962)に描かれたような庶民のバカンス、あるいはエリック・ロメールの夏の映画のような女子大生や若いOLの孤独なバカンスが、ロジェ監督の「永遠の青春映画」の世界なのですが、もうすぐ夏も終わり、バカンスも終わることを知りながら絶望的にはしゃぐ「さらば青春」映画でもあるというせつないコメディーと言ったらいいか、『オルエットの方へ』の女の子たちが、ブルジョワの友人の親たちから借りた別荘の戸締まりをして海辺を去る時に、潮騒がしつこく、うるさく、むなしく響くシーンなど、まるで祭の後のようなわびしさです。身につまされるようなせつない虚脱感。
 トリュフォーが評した「究極に計算された即興演出」は処女作の『アデュー・フィリピーヌ』以上に、『オルエットの方へ』においても、『メーヌ・オセアン』においても、いよいよ冴えて、主人公の1人(ベルナール・メネス)が夢のあとさきを噛み締めながら去っていく、遥かな遠景を果てしなくとらえ続ける移動撮影の魅惑、多彩な人物が次から次へと入り込んできて、傍役かと思われた人物がいつの間にか主役になっていたり、にわかにミュージカル・ナンバーさながらの盛り上がりを見せたり、その逸脱ぶりの狂ったような見事さときたら真に現代的な、とでも言うほかなく、女の子が台詞をたぶんちょっととちったのかもしれないのにキャメラがそのまま回り続けているので、あわてて自分の言葉で取り繕おうとするかのように即興的に不意に真実がきらめく瞬間もあり、登場人物の誰もが故意に構えたりしない自然な演技と台詞で、いや、それどころか『アデュー・フィリピーヌ』のコルシカの崖の道に突然フロッグマンが現れて女の子をくどき、声を張り上げてとめどもなくナポリ民謡を歌い続けるように、笑いと狂気とせつなさに貫かれた爆発的な瞬間が続き、まさに未編集のラッシュ・フィルムを見せられているような生々しさなのです。1985年の『メーヌ・オセアン』は長篇処女作の『アデュー・フィリピーヌ』から25年後の長篇第4作ですが(マノエル・ド・オリヴェイラの映画のプロデューサーとして知られるパウロ・ブランコの製作です)、最も先鋭的な処女作に与えられるはずのジャン・ヴィゴ賞を授与されました。60歳の新人監督の誕生とみなされたのです。
 ロジェは映画学校時代に見たルノワール監督の『ピクニック』(1936)に魅惑され、同監督がアメリカから久しぶりにフランスに帰って撮った『フレンチ・カンカン』(1954)の見習い助監督をボランティアで務めたりしているのですが、「一見でたらめのよう」で「緻密に計算された即興演出」はまさにルノワールゆずりのようです。
 ロジェはよく「Le cin士a、c'est la vie」と言うのですが、それは「映画は人生そのもの」という意味であるとともに、「映画なんだから、仕方がない、人生みたいなものさ」というニュアンスにもとれるような気がします。
 なお、ロジェが発見して育てた俳優、なかでも『オルエットの方へ』で映画デビューしたベルナール・メネズがトリュフォー監督の『アメリカの夜』(1973)に起用され、忘れがたい魅力的な小道具係の役を演じることになること、それにアニエス・ヴァルダ監督の最初の夫であった演出家、アントワーヌ・ブールセイユの劇団の俳優から、ゴダールの『男性・女性』(1966)ではジャン=ピエール・レオーの前で突然ナイフを自分の腹に突き刺す男、『メイド・イン・USA』(1966)でミステリー作家デヴィッド・グーディスの役を演じたイヴ・アフォンソが『メーヌ・オセアン』では怒りの漁師を演じて怪優ぶりを発揮していることも、付記しておきたいと思います。
(以上、ほとんど山田さんの文章の丸写しなので、警告をいただければ直ちにネットから削除致します)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/