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ハワード・ホークス『特急二十世紀』その2

2019-05-11 06:07:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 そして、それはまたハワード・ホークスならではのプロフェッショナルの世界の物語なのである。『特急二十世紀』は舞台の演出家と女優、『ヒズ・ガール・フライデー』(1940)は新聞社の社会部の部長と女流記者のたたかいを描く。ともに同じ立場のプロ同士のたたかいである。そこでは、西部劇の決闘と同じ掟が女と男のロマンスのゲームの規則であると言ってもいいだろう。
『特急二十世紀』は、(中略)要するに、自分の手で彫った象牙の女人像に恋をしてしまうギリシャ神話のピグマリオンのように、(中略)無名の新人女優からスターに育て上げたキャロル・ロンバードに恋をしてしまう舞台の演出家ジョン・バリモアの物語である。(中略)
「天才」と自分を呼ばせる演出家ジョン・バリモアの過剰なまでの「天才」ぶりがすさまじくおかしい。
「あの娘はものにならない」と周囲のみんなに悪口を言われながらも、キャロル・ロンバートの「隠れた才能」を認めて、「宝の山を掘り起こす」ことに情熱をそそぐジョン・バリモアのスヴェンガリぶりは、(中略)ハワード・ホークス監督はジョン・バリモアに好きなように演じさせただけで、とくにモデルはないと言っている。(中略)ジョン・バリモアがキャロル・ロンバート扮する新人女優の本名ミルドレッド・プロッカを「不似合いだ」といってリリー・ガーランドというスターふうの芸名に変え、舞台稽古のときにおびえている彼女を呼び寄せて、「心配するな。きみはもうリリー・ガーランドじゃない。ヒロインのメリー・ジョーなんだ」と催眠術をかけるような調子で言いふくめるあたりは、ローレン・バコール自伝「私一人」(中略)に描写されているハワード・ホークス監督をほうふつとさせる。(中略)
「ハワード・ホークスの作品歴そのものが語っていることだが、彼は常に無名の女の子を見つけてきては、彼の“夢の女(ドリーム・ガール)”につくり上げてスターにする。(中略)
 だが、ホークスの思い描く「夢の女」がいつも同じワンパターンだったわけではない。たとえば、ローレン・バコールにはハスキー・ヴォイスが似合うことを知っていたので、「声域を低い調子に保つことが女性にとっていちばん大切なことだ」と言った。「女性は興奮したり感情がたかぶったりすると、つい甲高い声をはりあげるだろう。ところで、この金切り声ってやつほど魅力のないものはないんだ。(中略)」
 ところが、「この金切り声ってやつ」が『特急二十世紀』のキャロル・ロンバートの魅力なのである。ヒステリックに金切り声を上げて魅力的な女優というのは、おそらく、世界の映画史でも彼女だけだろう。ホークスはもちろん、キャロル・ロンバートには甲高い金切り声が似合うことを知っていたのである。(中略)
 ハワード・ホークスの映画では、男の役と女の役が交換可能なのである。だからこそ、男と女はまったく対等に付き合えるのだ。(中略)
『特急二十世紀』のラストで、ジョン・バリモアがキャロル・ロンバートに「契約」の署名をさせるために、どんな大芝居を打つかは見てのおたのしみだ。彼は舞台の「天才」演出家である以上に人生の偉大な演技者なのである。ジョン・バリモアはラクダの擬態や借金取りをだまくらかす変装までやってのける。どこまでが芝居で、どこから実人生なのか、見分けがつかないおかしさである。いや、舞台も人生も地つづきなのだ。「偉大なる大根役者を演じればよい」とホークスは名優バリモアに言っただけだという。(中略)舞台と人生の見分けがつかないかのような「大根役者」の狂乱ぶりは、じつは「天才」の演出でもあるという虚々実々のおもしろさ。しかし、女の気を引こうとするあの手この手も女にあっさり見透かされてしまう。窓から飛び降りようとすると「芝居(フェイク)はやめて。男らしくない」とばかにされるだけなのである。そこで彼が最後に打つ手は、ホークス喜劇の「究極の皮肉(ファイナル・アイロニー)」、すなわち女装、女を演じること、である。女の芝居、「椿姫」を演じること、だ。それもノン・ステップで疾走中の特急列車のなかで……。
 早口のせりふの連発で、ときにはせりふとせりふがダブるというすさまじい言葉の銃撃戦さながらのトーキー版ドタバタ喜劇、『特急二十世紀』で、キャロル・ロンバートはその金切り声でジョン・バリモアをとことん罵倒しつづける。
 ハワード・ホークスは『脱出』のローレン・バコールに、とにかく「男に対して徹底的に無礼で生意気にふるまうこと」、しかし、「横柄で出しゃばりだがユーモアのある女としてふるまうこと」を要求したというが、それは『特急二十世紀』のキャロル・ロンバートに対しても同様だったろう。いや、もっと過激に、そして過剰に要求したにちがいない。(後略)