高野秀行さんの'12年作品『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』を読みました。「日本に暮らすふつうの外国人の食生活を見る」という目標から始まり、それは「ふつうの○○人の食事会」の取材となり、最後には「日本に移り住んだ外国人を食とコミュニティから見る」ことになった本です。
先ず最初は「どこで何を食べてもうまい」タイ料理から。成田にあるタイ寺院「ワム・パクナム日本別院」へ。タイの僧侶は227にもわたる戒律を守って暮らしていて、正午を過ぎたら固形物は一切口にすることができません。そして寺は24時間開かれていて、寝るところや食べ物もあり、相談すべき人もいる、いつでも誰でも困った人を受け入れる場所です。また「タンブン(功徳を積む)」というタイ人にとって最も重要なことを行う場でもあり、いちばん一般的なのはお寺や僧侶へのお供え物やお布施です。タンブンは自分の功徳を積むこともそうですが、その徳が両親のためになると信じられています。そして聞き取りの結果、日本に住むタイ人の食べ物は人それぞれでした。高野さんは豚の内臓のラープ(肉を細かく刻んだ料理)の美味しさに驚きます。
次に取材したのは、かわいい子がいるところということで、美人かつ超セクシーなベリーダンサーであるミーナ・サレーさんの属するイラン人のコミュニティ。高野さんは以前旅した時にいい印象は持っていませんでした。イスラム革命後、屋外での歌も踊りも禁止されましたが、屋内では違いました。イランには24の民族があり、ダンスも同じ数だけあるそうです。そしてイスラムはアラブの文化、イランにはイランの文化があるというのが大方の意見でした。高野さんはイランの「おふくろの味」である「ゴルメ・サブジ」を特に気に入ります。そしてイランの人は外食する習慣がないので、以前の旅の時食事がまずかったことを知ります。
さて、東日本大震災では'11年4月25日現在、外国籍の犠牲者も23人が確認され、行方不明者の数は把握されていません。日本にはモスクが北は北海道から南は九州まで全部で百カ所以上もあり、おそらくその8割はパキスタン人が中心になって建設、運営されているのだそうです。パキスタン人は信仰心に篤く、また中古車販売会社を営む人が多く、そういう人たちは比較的生活にゆとりをもっていると聞いていました。高野さんはぜひムスリムの人たちの支援活動を取材したいと思い、ヒンドゥー教徒であるネパール人を西葛西のインド人の寺が助けたことを知ります。また北欧系の国の大使館員は、デニッシュのベーカリーで知られる「アンデルセン」の本社がある広島へ「疎開」していたことも知ります。
南三陸町でフィリピン人女性が何人も被災していて、世話役であるアメリアさんたちを取材するため、彼女の指示に従い、赤羽にあるフィリピン雑貨店で合流し、彼女らの炊出しを体験させてもらいますが、特に焼そばのバムイーに舌鼓を打ちます。彼女からフィリピンでは嫁は嫁で好きなようにやるが、日本では全て姑の言うことを聞けと言われたことにショックを受けたと聞きます。
次に、神楽坂にあるフランス人のコミュニティを訪ね、チーズ専門店でコルシカのチーズ「恋の芽生え」を買い、チーズ・バーにも行き、スタッフ3人が皆フランス人であることで“本場感”を味わえる「プチ・パリ」に行き、神楽坂のフランス人には助け合うコミュニティが存在することを知ります。そして「国際化」が「各国もしくは各民族のコミュニティがあり、その中で自分たちの言語や文化で生活ができる」という意味だと教えられます。赤ワインに合うコンテというチーズも味わい、ヴァシュラン・モン・ドールが一番のチーズとも教わります。
次は取材が楽だということで台湾を選び、中華学校で新入生を歓迎する「園遊会」に呼ばれますが、体育館には屋台が出ていました。「台湾式ハンバーガー」、「担仔麺」、「ちまき」、鶏の足や牛のすね肉の煮込みを堪能し、教室に弁当の保温器があることを知ります。
食べ物の禁忌に厳しいムスリムでは、豚肉は食べず、イスラムの作法にのっとって屠畜した動物の肉しか食べてはいけません。(これを「ハラル(合法な)」肉、ハラルミートと呼びます。)館林は2カ所もモスクがある「在日ムスリムの町」です。(明日へ続きます‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
先ず最初は「どこで何を食べてもうまい」タイ料理から。成田にあるタイ寺院「ワム・パクナム日本別院」へ。タイの僧侶は227にもわたる戒律を守って暮らしていて、正午を過ぎたら固形物は一切口にすることができません。そして寺は24時間開かれていて、寝るところや食べ物もあり、相談すべき人もいる、いつでも誰でも困った人を受け入れる場所です。また「タンブン(功徳を積む)」というタイ人にとって最も重要なことを行う場でもあり、いちばん一般的なのはお寺や僧侶へのお供え物やお布施です。タンブンは自分の功徳を積むこともそうですが、その徳が両親のためになると信じられています。そして聞き取りの結果、日本に住むタイ人の食べ物は人それぞれでした。高野さんは豚の内臓のラープ(肉を細かく刻んだ料理)の美味しさに驚きます。
次に取材したのは、かわいい子がいるところということで、美人かつ超セクシーなベリーダンサーであるミーナ・サレーさんの属するイラン人のコミュニティ。高野さんは以前旅した時にいい印象は持っていませんでした。イスラム革命後、屋外での歌も踊りも禁止されましたが、屋内では違いました。イランには24の民族があり、ダンスも同じ数だけあるそうです。そしてイスラムはアラブの文化、イランにはイランの文化があるというのが大方の意見でした。高野さんはイランの「おふくろの味」である「ゴルメ・サブジ」を特に気に入ります。そしてイランの人は外食する習慣がないので、以前の旅の時食事がまずかったことを知ります。
さて、東日本大震災では'11年4月25日現在、外国籍の犠牲者も23人が確認され、行方不明者の数は把握されていません。日本にはモスクが北は北海道から南は九州まで全部で百カ所以上もあり、おそらくその8割はパキスタン人が中心になって建設、運営されているのだそうです。パキスタン人は信仰心に篤く、また中古車販売会社を営む人が多く、そういう人たちは比較的生活にゆとりをもっていると聞いていました。高野さんはぜひムスリムの人たちの支援活動を取材したいと思い、ヒンドゥー教徒であるネパール人を西葛西のインド人の寺が助けたことを知ります。また北欧系の国の大使館員は、デニッシュのベーカリーで知られる「アンデルセン」の本社がある広島へ「疎開」していたことも知ります。
南三陸町でフィリピン人女性が何人も被災していて、世話役であるアメリアさんたちを取材するため、彼女の指示に従い、赤羽にあるフィリピン雑貨店で合流し、彼女らの炊出しを体験させてもらいますが、特に焼そばのバムイーに舌鼓を打ちます。彼女からフィリピンでは嫁は嫁で好きなようにやるが、日本では全て姑の言うことを聞けと言われたことにショックを受けたと聞きます。
次に、神楽坂にあるフランス人のコミュニティを訪ね、チーズ専門店でコルシカのチーズ「恋の芽生え」を買い、チーズ・バーにも行き、スタッフ3人が皆フランス人であることで“本場感”を味わえる「プチ・パリ」に行き、神楽坂のフランス人には助け合うコミュニティが存在することを知ります。そして「国際化」が「各国もしくは各民族のコミュニティがあり、その中で自分たちの言語や文化で生活ができる」という意味だと教えられます。赤ワインに合うコンテというチーズも味わい、ヴァシュラン・モン・ドールが一番のチーズとも教わります。
次は取材が楽だということで台湾を選び、中華学校で新入生を歓迎する「園遊会」に呼ばれますが、体育館には屋台が出ていました。「台湾式ハンバーガー」、「担仔麺」、「ちまき」、鶏の足や牛のすね肉の煮込みを堪能し、教室に弁当の保温器があることを知ります。
食べ物の禁忌に厳しいムスリムでは、豚肉は食べず、イスラムの作法にのっとって屠畜した動物の肉しか食べてはいけません。(これを「ハラル(合法な)」肉、ハラルミートと呼びます。)館林は2カ所もモスクがある「在日ムスリムの町」です。(明日へ続きます‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)