gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

高野秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』その2

2013-10-13 09:12:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 1日5回のお祈りは、普段は自宅や職場などで行ってもかまいませんが、金曜日の昼は「金曜礼拝」といって、極力モスクに集まってお祈りすべしと定められています。ただし、日本では金曜日が平日のため、代わりに土曜日に集まる人が多いといいます。その際、男女は別々の場所で礼拝します。敬虔なムスリム女性は親戚以外の男性と話をしてはならず、外出も夫と一緒でなければいけないので、日本社会には溶け込まないようです。
 横浜市鶴見区には沖縄系ブラジル人のコミュニティがあり、というのも昔から小さな「町工場」の連なるエリアで、沖縄出身の人が出稼ぎに来たり、移住したりしていて、いっぽう、ブラジルに移住した日系移民のうちで最も多かったのも沖縄出身者だったのだそうです。高野さんはコシーニャの旨さを堪能します。ブラジル人はパーティが大好きで、そこでブラジルが多民族多人種の移民国家であることを知ります。また鶴見区以外のブラジル人は「出稼ぎ」なので、いずれブラジルに帰ると思っているから日本語を学ぼうとせず、地元の日本人社会と隔絶して生活していることも教わります。
 西葛西にあるIT系インド人のコミュニティで、インドの新年祭「ディワリ」が行われるというので出かけ、南インドのベジタリアン・レストランのテントで、タワ・マライ・チャプ、レモンライス、湯葉入りカレー、アルコール売り場で「オマル・ハイヤーム」なるスパークリング・ワインを堪能し、故郷を思う気持ち、嫁に行く娘を思う気持ちなど、こぶしをきかせるところやメロディーも、歌を聴くとインドと日本の文化が近いことが分かると教わります。在日インド人の歴史は幕末に遡り、1935年、日本で最初に作られたモスク「神戸ムスリムモスク」はイスラム教徒のインド人の手によるものだったし、同じく神戸にはインドの宗教、ジャイナ教の寺院「バグワン・マハビール・スワミ・ジェイン寺院」もあります。しかし意外なことにインドに信者が十億人もいるヒンドウー教の寺院は長いことなく、なんと2011年になってやっとできたといいます。しかしそこの僧侶は新興宗教イスコンの信徒だと言い、取材を進めるうちに、イスコンはインドでは普通に受け入れられていて、自分とはちがうものが同居しているのが常態である「排他的でない」インドの姿を知ることになります。ヒンドゥーのしきたりでは食事は神様に捧げる供物で、僧侶しか作ることを許されていません。
 ロシア正教では西暦ではなくユリウス暦を使用しているので、クリスマスは13日遅れでやってきます。そして教会でのお祈りや説教の間は、ごく一部の高齢者以外は全員がずっと立ったままです。彼らがお茶の水のニコライ堂に行かないのは、大平洋戦争のあと、米占領軍の指示で「アメリカ正教会」の指導下に組み込まれ、日本人のための教会になってしまい、1970年、東西の正教会が和解し、ニコライ堂はモスクワの指導下に戻った後も、教会のトップは日本人で、事実上独立して運営されることになったのだそうです。ロシア正教では一般的にクリスマスの6週間くらい前から肉を断ちます。そして「ロシア人というだけで仕事がない」のが日本の現状なのだそうです。
 中国の朝鮮族(朝鮮半島出身で、中国に住みついた民族)である整体の先生を取材します。男は家の中では威張っていて、料理などまずせず、料理店を持っても厨房は使用人や妻任せなのだそうです。
 スーダン人のアブという友人から知ったことは、ムスリムにはことのほか寿司好きが多いこと、ムスリムの人と会食してると飲んでもないのに酔ったように多幸感に浸れること、スーダンでは午前7時頃軽食をとり、午前十時頃、サンドウィッチやウガリ(トウモロコシやキャッサバの粉を練ったもの)を食べ、「昼食」は午後3時か4時にたっぷり食べ、そのあた九時か十時、遅いときには12時に夜食みたいなものを食べること、などでした。
 そして取材の結果、この20年で日本人の外国人への差別や偏見は激減したことが分かったのでした。

 いつもの高野さんの本のように、楽しく一気に読んでしまいました。是非手に取ってほしい本です。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto