gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

内田樹『下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち』

2011-04-18 00:11:00 | ノンジャンル
 ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガード、エドワード・G・ロビンソン出演の'48年作品『キー・ラーゴ』をWOWOWで再見ましたが、ハワード・ホークス監督作品であれほど輝いていたローレン・バコールは平凡な娘になってしまっていているのにがっかりしました。

 さて、内田樹さんの'07年作品『下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち』を読みました。
 著者によれば、日本の子どもたちは今や世界で最も勉強しない子どもたちになってしまったそうです。彼らはわからないことがあっても気にならないようになっています。それは言い換えれば「自分の知らないこと」は「存在しない」ことにしているということです。また、彼らはものを学ぶ時に「これは何の役に立つんですか?」と質問してきます。このような質問をする子どもたちは「自分が学びの機会を構造的に奪われた人間になる可能性」を勘定に入れていません。自分が享受している学ぶ特権に気づいていない人間だけが、そのような「想定外」の問いを口にするのです。そして子どもたちは、自分たちの差し出した問いに大人を絶句させるか、あるいは幼い知性でも理解できるような無内容な答えを引き出すか、そのどちらかであることを人生の早い時期に学んでしまい、それはある種の達成感を彼らにもたらしてしまいます。そして最初の成功の記憶によって、子どもは以後あらゆることについて、「それが何の役に立つんですか?」と訊ねるようになり、その答えが気に入れば「やる」し、気に入らなければ「やらない」という採否の基準を人生の早い時期に身体化してしまいます。そしてそうした問いが発せられるようになる原因は、子どもたちが就学以前に消費主体としてすでに自己を確立しているからです。彼らは家庭内において労働から出発せず、超少子化の結果、両親と両親の祖父母たちの六つのポケットからざくざくと潤沢におこづかいが供給され、生まれてはじめての社会経験が買い物だったということになります。社会的能力がほとんどゼロである子どもが、潤沢なおこづかいを手にして消費主体として市場に登場したとき、彼らが最初に感じたのは法外な全能感だったはずであり、彼らは以後、どのような場面でも、まず「買い手」として名乗りをあげること、何よりもまず対面的な状況において自らを消費主体として位置づける方法を探すようになります。それは無時間的になることを意味し、そこから学びからの逃走、労働からの逃走という状況が生まれる、と著者は語っています。
 読んでいてなるほど、と思いました。非常に分かりやすく書かれていて、今の子どもたちが置かれている状況を理解するのには適した本だと思います。幼いお子さんをお持ちの方には特にオススメです。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/^m-goto)