杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

600年前の「交流なくして成長なし」

2010-07-17 16:07:02 | 朝鮮通信使

 14日(水)夜、久しぶりに静岡県朝鮮通信使研究会に参加しました。講師はおなじみ朝鮮通信使研究家の北村欽哉先生。いつも教科書では学べない斬新で刺激的な歴史観を与えてくださるのですが、今回はサッカーW杯と参院選の直後で、ナショナリズムや為政者の資質を考えるタイミングにふさわしいお話でした。

 

 今回のお話の主人公は足利義満。東大准教授の小島毅さんが書かれた『足利義満―消された日本国王』(光文社新書)をベースに、義満を、600年前に東アジアで日本が日本として生きて行くため、日本の「国のかたち」を明確に構想した政治家として解説していただきました。…想像もしなかった新しい義満像に目からウロコがぼろぼろ落ちました!

 

 皇国史観では、後醍醐天皇に不忠を働いたとして祖父・足利尊氏は国賊扱いされ、義満自身もキンピカ豪邸(金閣寺)をひけらかし、中国・明には「自分が日本国王」だと奢り高ぶった勘違い将軍との評価。実像がよくわからず、イメージだけが一人歩きしていた人物です。私自身も、朝鮮通信使といえば家康以降のことしかよく知らず、金閣寺を建て、漫画「一休さん」に出てくるとぼけた将軍さまのイメージしかない義満が、通信使とどう関わっているのかピンと来ませんでした。

 

 

 義満が将軍職に就いた1368年というのは、中国に明王朝が建国された年。義満が南北朝を統一した年(1392)にはのちの朝鮮国太祖李成桂が高麗国王に就き、義満が亡くなった1408年5月には、偶然、李成桂も亡くなっています。日本は南北朝争乱がやっと落ち着いた頃、朝鮮国も、高麗王朝末期の王権騒乱が治まり新政権がスタートしたばかり。そこに、明王朝建国という東アジア国際秩序の大変動が起き、日本も朝鮮国も、やっと国内を落ち着かせたと思ったら息つく暇なく外交戦略を練り直さねば・・・という状況でした。

 

 

 とくに、14世紀中ごろから日本海を挟んで倭寇(日本人の海賊&密貿易者とそれに加担した朝鮮人や中国人)が大暴れをしていて、義満は、明王朝と朝鮮国から「倭寇をなんとかしろ」と強く要求されていました。義満は正確な国際情勢を得るため、積極的に外交活動を展開し、1375年からはほとんど毎年、朝鮮王朝から“通信使”を迎えています。

 また彼は、明の洪武帝のリーダーシップ・・・明国内では一世一元(皇帝一代につき年号一つ)を敷き、対日的には前政権(元)が比較的無頓着だった貿易や文化交流を厳しく規制する動きを、ブレーンである僧や遣明使を通して敏感に察し、超大国との付き合い方を冷静に分析・判断します。

 

 

 “世界の中心に中国があり、周辺国は中国皇帝から王号を与えられ臣下となる”・・・中華思想をベースにしたそんな冊封体制が、当時の“国際常識”でした。日本は聖徳太子以来、一貫して「中国への使節派遣は朝貢ではない」という立場を貫いていましたが、向こうはあくまでも朝貢国あつかい。中国の史書で日本の君主を呼ぶ時は「帝」ではなく「王」です。

 

 

 義満は、1394年(37歳)のとき将軍職を息子義持に譲り、朝廷の官職である太政大臣に就き、翌95年には早くも辞任して出家してしまいます。そして95年に西園寺家から取得した北山山荘を4年がかりでリニューアルし、自らの政治拠点にして当代一の迎賓館・北山第を造営します。鹿苑寺金閣はこの一角に造られた楼閣で、金箔20㎏を使用したと伝えられますが、今の価値にすると6,000万円程度。迎賓館の建築費用としてみれば、いわれるほど贅沢じゃない気もしますね。

 

 

 ではなぜ見た目にあんな派手なデザインにしたのか。・・・彼は、あえて明王朝の冊封体制に入ることで国際舞台に堂々と復帰し、外貨を得て国を建てなおすというビジョンを持っていました。今風にいえば、東アジア経済圏への参入というわけです。金閣は迎賓館の目玉として賓客をもてなす格好の舞台だったようです。

 

 

 1402年からは明の使節が北山第の義満の元へ毎年のようにやってきます。義満は明から『日本国王 源道義』と呼ばれます。そのことが、のちのち、「天皇を差し置いて自ら日本国王を名乗った不埒者」という義満批判につながったのですが、当時の外交の常識として、「国王」の称号は超大国明が国際秩序を守るため周辺国の代表権を持つ者に与えた、今でいえば総理大臣兼国連全権大使的な役職だったのでは、と想像します。あるいは、日本が生き残るために義満にしてみれば、洪武帝の後ろ盾を利用したぐらいの気持ちだったかもしれません。

 こういうことをやりやすくするため、彼は征夷大将軍や太政大臣といった既存の地位に固執しないで、出家というフリーハンドの立場を選んだのでしょう。今もいますよね、党や内閣では無官ながら、影で糸ひく大物政治家・・・。

 

 明から洪武銭や永楽銭を日本に流入させた「勘合貿易」によって、京の都には月6回の六斎市(マーケット)が立ち、経済成長を遂げます。奈良や平安時代に造られた貨幣は量が少なすぎて、平氏が中国から宗銭を導入してマーケットの基盤を作り、おかげで鎌倉幕府は潤った。しかし日本国内では太閤秀吉の時代になるまで満足な貨幣を作ることが出来なかったんですね。義満の時代に中国銭が東アジアに大量に流通し、経済が発展したのは、ユーロ経済圏の状況とよく似ていています。

 

 

 北村先生は「義満は、現代の政党スローガン風にいえば“交流なくして発展なし”を主張し、超大国と渡り合うため、強引ではあるが冷静かつ現実的に外交手腕を発揮した」「義満が中国の冊封体制に組み込まれたといっても、今、超大国アメリカの影響下に甘んじる日本と、どれだけ違うのか」と締めくくります。

 

 今の政治家に「尊敬する歴史上の人物」を訊くと、徳川家康や大久保利通といった名前を上げる人が多く、相変わらず日本史といえば戦国時代や幕末明治維新に人気が集中するんだなと思います。

 ・・・「足利義満」の名を上げる政治家がいたら、要注目、かもしれませんね!

 

 

 とにもかくにも、北村先生が推薦してくれた小島毅氏の『足利義満―消された日本国王』(光文社新書)、今、私も夢中で読んでいるところです。


静岡観光コンベンション協会交流会の地酒ブース

2010-07-14 18:02:28 | 吟醸王国しずおか

 12日(月)は静岡駅前葵タワー4階のグランディエールブケトーカイで開かれた(財)静岡観光コンベンション協会賛助会員の集いに、昨年に引き続いて参加しました。

 

 昨年は記念講演会の席で『吟醸王国しずおかパイロット版』を上映していただき、映像に登場する青島孝さん(喜久醉蔵元)、松下明弘さん(酒米農家)と私の鼎談をご披露しました(こちらをご参照を)。講演の後の交流会で地酒ブースを設けたところ、会員のみなさんにとても喜んでいただき、2年連続でお声かけをいただいた次第です。

 

 

Imgp2712  今回は交流会での地酒ブースのみですが、「映画制作の宣伝を大いになさってください」と有難いオファーを頂戴し、吟醸王国しずおか映像製作委員会斗瓶会員の神田えり子さん、櫻井美佳さんに地酒コンシェルジュをお願いしました。2人とも天気が悪いのに着物姿でバッチリ決めてくれました。

 

 

 参加者は県中部地区の観光関連事業者や行政の観光セクションの方々。静岡の地酒が美味しいことは“地元の常識”としてご存知の方ばかりです。といっても、地酒まつりに参加するほどのマニアではない。ふだん飲む酒はレギュラークラスでも、仕事では吟醸以上のクラスを飲む。・・・こういうお客様に十分な満足感と新鮮な驚きを同時に与えるのが、今回の使命だと考えました。

 映画のプレゼンも、パイロット版映像を観てもらえない以上は、酒の味を通して感動し理解してもらうしかない。斗瓶会員の篠田酒店さんとラインナップを吟味し、純米大吟醸クラスを8銘柄、誉富士や生原酒等の特別仕様酒4銘柄を並べ、神田さん、櫻井さんには事前に全銘柄を試飲してもらい、セールストークを考えてもらいました。

 

 

 私はいつもの“女性に喩える作戦”で、「この酒はすっぴん美人」「こっちはミスコン仕様のパーフェクト美女」「そっちは人生の機微を経た熟女」な~んて表現で楽しんでもらいました。

 

 

 

 Imgp2720 ブースには、思った以上に女性のお客様が集まり、熱心に利き酒してくれました。総会を取材に来ていた読売新聞の女性記者が、女性客にお酒を勧める神田さんや櫻井さんの姿を見て、「ここをメインに取り上げたい」と写真を何枚も撮ってくれました(本日14日付読売新聞朝刊に掲載)。

 日本酒と女性という組み合わせは、フォトジェニック的にも見栄えがあるし、2人に着物で来てもらったのは大成功! 

 

 

 Imgp2718 昨年は時間の都合でほとんど試飲できなかった小嶋市長も、今回は最初から最後まで会場にいらして、地酒ブースにちょくちょく顔を出してくれました。

 

 

 

 準備に手間がかかったにしては、映画の宣伝があまり出来ず、募金箱には1000円札1枚だけ…。それでも「交流会の地酒ブースはよかった」「いい酒がそろっていた」という満足感を持ちかえってもらうことが、回り回って映画作りの糧になるんですね。

 

 それは観光事業にもいえることで、観光客にとって旅先の細かな出来事や情報は記憶から消えたとしても、「楽しかった」といういいイメージが何年経っても残るという、そんなホスピタリティが大切なんでしょう。

 それはスペシャルなおもてなしというよりも、この地酒ブースでいえば、着物姿の2人が笑顔を絶やさず丁寧に接客したこと、いざという時は私みたいなウンチク屋が判りやすい解説をすること、そしてなにより当の地酒が、非の打ちどころのない味であること・・・そんな基本中の基本をきちんと押さえることではないのかなと思います。

 

 

 ブースに来てくださった方の中には、パイロット版を観たい、うちでも何か企画したいと言ってくれる旅館オーナーや旅行会社さんがいました。こういう酒縁を大切に活かしていきたいと思います。

 貴重な機会を2度もくださった観光コンベンション協会の皆さま、本当にありがとうございました。


ナムカラタンノーふたたび

2010-07-11 22:26:14 | 仏教

 今年に入り、竹島義高さん、萩原和子さんのご主人等、永い酒縁でお世話になった方やお身内の方の葬儀に参列する機会が続いています。今日(11日)も、しずおか地酒研究会や吟醸王国しずおか映像製作委員会で物心ともにお世話になっている酒販店ときわストア&地酒Barイーハトーヴォ(藤枝市岡部)・後藤英和さんの娘さんをお見送りしました。

 

 

 今日の葬儀のなにが辛いって、親が子を見送らなければならない姿を目の当たりにしたこと・・・。以前、自分と同世代の働き盛りの男性が急死し、お通夜にうかがったときの、残された妻子がむせび泣く姿に言葉を失ったことがありましたが、今日の葬儀は、会場全体がむせび泣くといった状態でした。

 後藤さんの長女さつきさんは23歳になったばかり。中学2年のときから血液の難病と闘い、病室で受験勉強をしながら2年越しで大学進学を果たしたそうです。自分の病と向き合いながら、進学先の静岡大学農学部では生物化学と薬学を専攻し、いのちを支える職業を志していたそうですが、キャンパス生活はわずか2カ月。先週7月7日七夕の朝、天に召されました。

 

 

 さつきさんとは面識はなく、遺影のお顔が初対面でしたが、彼女が希望を捨てずに学校では勉強やクラブ活動に励んでいたこと、同級生と励まし合いながら薬学の道を志したことなど、同級生の弔辞や後藤さんの喪主挨拶を通して、気丈に懸命に生きた女性の確かな輪郭が浮かんできました。

 

 

 涙を懸命にこらえながら、さつきさんの闘病の様子を淡々と語り、最後に「参列してくれた同世代の若い人にぜひお願いします。命を大切にしてください。親は、子どもが生きていてくれるだけで幸せですから」と語気を強めた後藤さん。過去いくつか参列した葬儀の喪主挨拶で、これほど心に響くメッセージはありませんでした。

 

 

 曹洞宗の葬儀だったので、過去ブログでも何度かふれた“ナムカラタンノー”の『大悲呪』を久しぶりに唱えました。相変わらず難解な言葉ばかりですが、持参したお経の文字を無心で追っていくと、座禅会の時のおだやかな精神状態が思い返され、溢れ出そうな涙をしばし堪えることができました。

 

 しかし・・・帰路、カーラジオから、福山雅治さんの新曲で、余命わずかな女子大生を主人公にしたというドラマの主題歌が流れ、目の奥に溜まっていたものがホロリと落ちてきました。

 いのちのやりとりをエモーショナルなドラマにして視聴率を稼ごうとする風潮は好きではありませんが、こういうことは、ドラマの中のフィクションではなく、身近に本当に起き得ることなんだと思うと、いのちの尊さを、平易な表現でもつねに訴え続ける意義があるんですね。

 

 

 泣いても泣いても癒されないときは、大悲呪のような難解な言葉に無心で向き合う。…今のところそれぐらいしか思いつきません。

 


モノづくりへのシンパシー

2010-07-10 10:41:11 | アート・文化

 昨日(9日)は静岡グランドホテル中島屋で開かれた静清地域地下水利用対策協議会という団体の年次総会にお招きいただき、『吟醸王国しずおか』パイロット版の試写を行いました。静岡のおいしい水と地酒は切っても切れない関Imgp2708 係ということで、このブログや吟醸王国HPで映画制作のことを知った事務局(静岡市環境保全課)担当者が、オファーをくださったのでした。

 

 

 吟醸王国しずおかでは静岡・清水地区の酒蔵を取り上げていないので、いささかバツが悪かったのですが、映像に登場する志太地域の酒造りは、その昔、志太杜氏という地元の職人集団に支えられ、最後の志太杜氏は、安倍川と藁科川の分岐点に立つ静岡市の満寿一酒造さんに勤め、今は蔵元専務が志太杜氏の伝統を受け継いでいる、と、地元にからめた話題を必死に展開したところ、終了後に当の増寿一・増井専務に「スズキ先生、なかなかいい映像でしたよ」と声をかけられびっくり赤面! 満寿一さんがこの協議会のメンバーだとは知らなかったのですが、考えてみれば酒造会社って地下水利用の最たる事業者なんだから、いて当然ですよね(苦笑)。

・・・なんだかんだ適当なことを言っても、結局は志太の酒蔵のPRだと思われたでしょうし、気分を害されたかもしれません。それでも、映像に登場しない蔵元にまあまあの反応をもらえてホッとしました。同じ酒の造り手として、多少はシンパシーを感じていただけたのでしょうか…。

 

 

 総会が終わったのが16時。その足で、松坂屋静岡店で開催中の『LIVE LOVE LABO展』を観に行ったら、染色画家の松井妙子先生に偶然お会いしました。先生はこのブログでも再三紹介しているとおり、松坂屋で毎年GW明けに個展を開く人気作家。プライベートでもよく買い物にいらっしゃいます。

 昨年の『LIVE LOVE LABO展』では、これも当ブログでお馴染み・家具デザイナー野木村敦史さんの手作りチェアを偶然見つけ、お買い上げ。後で私とつながっていることを知って盛り上がったのでした。今回も「家にはモノが多すぎて整理しなきゃならないんだけど・・・」と躊躇されながらも、展示品ひとつひとつに目を輝かされ、「この展示会は若い作家さんたちの誠実な仕事ぶりが伝わってくる」と称賛されていました。

 

 

 今回、松井先生は、家具・玩具職人久留聡さんの、クジラの形の手作りカッティングボード(卓上まな板)をセレクト。久留さんが生みだす、魚や鳥など動物をモチーフにした愛らしい木工品は、松井先生が染色で描くフクロウ、カワセミ、クジラ、ナマズなどお馴染みのキャラにつうじる、いのちあるものへの慈愛に満ち溢れています。久留さんの作品にはごく自然にシンパシーを感じられているようでした。

 

 

Imgp2710  これは以前、久留さんが吟醸王国しずおか映像製作委員会のオリジナルグッズとして特別に作ってくれたキーホルダー。右から、映画の小道具、杜氏の『杜』の字、酒米の『米』の字、酒瓶と猪口・・・粋でしょう? 地元の心ある家具職人たちが、こんなカタチで映画作りを一緒に盛り上げてくれたら素敵だなってホントに思います。

 

 

 

 20日まで松坂屋静岡店新館5階展示場で開催中の『LIVE LOVE LABO展』、野木村さんの新作チェアや久留さんのキーホルダー(酒がらみのデザインはありませんが)も展示即売されていますので、ぜひご覧くださいね。

 


7月7日のプラスアルファ

2010-07-06 09:41:55 | アート・文化

 風邪が長引き、咳がとまらず、思うように外へ出られない日が続いています。今、百日咳が流行っているそうですね。咳が止まらないと取材の仕事ができないので、念のため病院で検査してもらってシロとわかり、ひと安心。咳止めと感染症の抗生薬ももらっておとなしくしてますが、ふだん薬らしい薬はサプリメントも含めてほとんど飲まない自分にはよく効くのか、眠くてだるくて、早くも夏バテ状態です(苦笑)。

 

 そんな中、早く元気になっておでかけしなきゃ!と気力を注入してくれたお誘いが2件。いずれも既存のものを「もっと活かす、楽しく活かす」プラスアルファを加えた素敵なイベントです。

 

 

 明日7月7日は、島田市の大村屋酒造場の恒例七夕コンサート。今年はザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の第一ソロホルン奏者ヴィリ・シュヴァイガーさんの演奏が楽しめます。18時30分開場、19時開演。終了後は冷やした樽酒や北海道直送の馬鈴薯&とうもろこしが無料でふるまわれます。

 ご近所のみなさんが大挙してやってくる、酒蔵が一年で一番賑やかな夜。『吟醸王国しずおか』でも2年前に撮影し、パイロット版では浴衣美人が冷酒を美味しそうにいただくシーンをちょろっと紹介しています。お時間のある方はぜひいらしてくださいね。

 

 

 

 大村屋酒造場さんつながりでもうひとつ。副杜氏日比野哲さんの奥さま・日比野ノゾミさんは、若手陶芸家として注目株ですが、ノゾミさんの作品も出展される『LIVE LOVE LABO~家具+陶器・銅版画・アートフラワーetc』というグループ展が、7月7日~20日まで松坂屋静岡店で始まります。この展覧会では、吟醸王国しずおか斗瓶会員の久留聡さん(家具・玩具職人)、一般会員の野木Imgp2695 村敦史さん(デザイナー・家具職人)の作品も展示されます。

 

 

 モノづくりのハートを実直に表現するクリエーターたちには、(自分は何も作れないけど)深い共鳴を覚えます。

 日比野ノゾミさんの作品については、こちらの過去ブログをご参照ください。

 

 

 7月11日、12日、17~19日は13時から1時間程度、お箸づくりや彫刻ネーム入れ等のワークショップが開催されるそうですから、ご家族揃ってぜひいらしてください。